日本の歴史

応徳(日本の元号)について

日本の元号の一つである応徳(おうとく)の歴史的背景、改元の由来、応徳期におきた主な出来事について解説します。

📌 主なポイント

  • 応徳は日本の元号の一つで、1084年から1087年までの期間を指す。
  • 前後の元号は永保の後、寛治の前である。
  • 改元は文章博士の藤原有綱の勘申によるもので、『白虎通』を出典とする。

応徳(おうとく、旧字体: 應德)は、日本の元号の一つ。永保の後、寛治の前で、1084年から1087年までの期間を指す。この時代の天皇は白河天皇および堀河天皇である。

改元の由来

永保4年2月7日(ユリウス暦1084年3月16日)、甲子革令に当たるため改元された。改元は文章博士である藤原有綱の勘申によるもので、その出典は『白虎通』封禅の「天下泰平、符瑞所以来至者 以為王者承天順理 調和陰陽 和万物序 休気充塞 故符瑞並臻 皆応徳而至」に依拠している。

応徳期におきた主な出来事

応徳年間には、以下のような歴史的な出来事が記録されている。

  • 1085年(応徳2年5月):興福寺僧徒が大和国十市郡で狼藉を働き、民家を焼く事件が発生した。
  • 奥州の動乱:この時期、奥州において清原家衡・武衡と、同族である藤原清衡との間で争いが生じた(後三年の役の背景となる動乱)。

西暦との対照表

応徳期における年数とユリウス暦の対照は以下の通りである。なお、各年の詳細な大小月は元号制度の暦法に準拠している。

応徳元年(甲子)一月※二月三月四月※五月六月※七月八月九月※十月十一月※十二月
ユリウス暦1084/2/93/94/85/86/67/68/49/310/311/112/112/30
応徳二年(乙丑)一月※二月※三月四月※五月六月七月※八月九月十月※十一月十二月※
ユリウス暦1085/1/292/273/284/275/266/257/258/239/2210/2211/2012/20
応徳三年(丙寅)一月二月※閏二月※三月四月※五月六月※七月八月九月※十月十一月十二月※
ユリウス暦1086/1/182/173/184/165/166/147/148/129/1110/1111/912/91087/1/8
応徳四年(丁卯)一月二月※三月※四月五月※六月※七月八月九月※十月十一月十二月
ユリウス暦1087/2/63/84/65/56/47/38/18/319/3010/2911/2812/28

よくある質問

応徳の読み方は何ですか?
「おうとく」と読みます。
応徳の期間はいつからいつまでですか?
1084年から1087年までの期間です。
応徳の次の元号は何ですか?
寛治(かんじ)です。

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参考文献

日本歴史学会編『日本歴史地名大系』および各種元号一覧資料。