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ポール・ティベッツ:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長

ポール・ティベッツ:広島原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長
広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長を務めたアメリカ空軍准将、ポール・ティベッツの経歴と生涯について解説します。

📌 主なポイント

  • 1915年2月23日、イリノイ州クインシー生まれ。
  • 1945年8月6日、広島市への原爆投下機「エノラ・ゲイ」の機長を務めた。
  • 1966年に空軍准将として退役。
  • 2007年11月1日に92歳で死去。

ポール・ウォーフィールド・ティベッツ・ジュニア(Paul Warfield Tibbets, Jr.、1915年2月23日 - 2007年11月1日)は、アメリカ合衆国の軍人。最終階級は空軍准将。第二次世界大戦末期の1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下作戦において、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長を務めたことで知られる。

軍歴と原爆投下作戦

1937年に陸軍航空隊に入隊し、第二次世界大戦ではB-17爆撃機のパイロットとして欧州戦線などで任務に従事した。1944年12月、原子爆弾投下を目的として編成された第509混成部隊の指揮官に任命された。ティベッツはテニアン島を拠点として部隊を率い、原爆投下のための訓練や準備を指揮した。

ポール・ティベッツの肖像
ポール・ティベッツ

1945年8月6日、ティベッツは自ら操縦するB-29「エノラ・ゲイ」で広島市上空へ向かい、原子爆弾「リトルボーイ」を投下した。機名は彼の母親の名前に由来している。

エノラ・ゲイの機長席から手を振るポール・ティベッツ
エノラ・ゲイの機長席から手を振るポール・ティベッツ

戦後の活動と晩年

戦後はジェット爆撃機B-47の開発に貢献するなど、空軍でのキャリアを継続し、1966年に准将の階級で退役した。退役後は民間企業で勤務した。1976年には航空ショーで原爆投下を模した演出を行い、国際的な批判を浴びる出来事もあった。

被爆後の広島市
被爆後の広島市。左上のサインはティベッツのもの。

2007年11月1日、オハイオ州コロンバスにて92歳で死去した。生前の希望により、葬儀や墓石の設置は行われず、遺灰は海に散骨された。

2003年12月3日撮影のポール・ティベッツ
2003年12月3日撮影

よくある質問

ポール・ティベッツはなぜ有名になったのですか?
第二次世界大戦末期の1945年8月6日、広島市に原子爆弾を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長を務めたためです。
「エノラ・ゲイ」という名前の由来は何ですか?
ポール・ティベッツの母親の名前から命名されました。
ティベッツは戦後、広島を訪れましたか?
戦後に長崎を訪れた記録はありますが、広島を訪れることはありませんでした。

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参考文献

  • ゴードン・トマス, マックス・モーガン・ウイッツ 『エノラ・ゲイ―ドキュメント・原爆投下』 TBSブリタニカ
  • Reuters, "原爆投下の「エノラ・ゲイ」機長ティベッツ氏が死去、92歳", 2007年11月2日
  • BBC News, "Hiroshima bomb pilot dies aged 92", 2007年11月1日