日本の経済発展期における戦後復興から高度成長の軌跡

📌 主なポイント
- ✓高度経済成長期は1954年12月から1973年11月までの約19年間である。
- ✓期間中の実質GDP成長率は年平均で約10%に達した。
- ✓1968年には日本のGNPが西ドイツを抜き、世界第2位の経済大国となった。
日本経済が飛躍的な成長を遂げた高度経済成長期は、1954年(昭和29年)12月から1973年(昭和48年)11月までの約19年間を指す。この期間の実質GDP成長率は年平均で約10%に達し、「神武景気」や「岩戸景気」、「オリンピック景気」、「いざなぎ景気」といった好景気が相次いで発生した。

敗戦からの復興と黎明期
第二次世界大戦による荒廃と混乱を経た日本は、朝鮮特需などを契機に急速な復興を果たした。1956年10月には経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言し、同年11月には東海道本線の全線電化が完成した。1957年以降の16年間は年平均10%以上の経済成長を記録し、エネルギー源の石炭から石油への転換や、太平洋・瀬戸内海沿岸のコンビナート形成が進められた。

この成長を支えた要因としては、良質で安価な労働力、戦前から発達した技術力、高い貯蓄率、固定相場制(1ドル=360円)による輸出の有利性、間接金融を中心とした資金融通などが挙げられる。
所得倍増計画と東京オリンピック
1960年に池田勇人内閣が発表した「所得倍増計画」は、GNPの倍増と西欧諸国並みの生活水準実現を掲げた。この時期には、テレビ・洗濯機・冷蔵庫が「三種の神器」として一般家庭へ急速に普及した。

また、1964年の東京オリンピック開催に向けて、名神高速道路や東海道新幹線、首都高速道路といった大都市間の高速交通網やインフラが大規模に整備された。

証券不況からいざなぎ景気、大阪万博へ
1964年頃からの景気縮小により、1965年には証券会社の赤字や企業の倒産が相次ぐ昭和40年証券不況が発生した。政府による山一證券への日銀特融や赤字国債の発行によって危機が回避された後、1965年10月から「いざなぎ景気」が始まった。
1968年には日本のGNPが西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった。1970年には大阪府吹田市で大阪万国博覧会が開催され、開催に向けた周辺インフラの整備や特需が経済を牽引した。

石油危機と公害問題の顕在化
急速な工業化と都市化の進展は、水俣病や四日市ぜんそくといった四大公害病の発生や、過密・過疎問題を引き起こした。これを受け、公害対策基本法の制定や環境庁の発足など、環境・社会政策の見直しが進められた。さらに、1973年10月の第1次オイルショックにより物価が高騰し、約20年間続いた高度経済成長期は終焉を迎えた。