行政区画

県(行政区画)の歴史と各国の制度概要

行政区画としての「県」の歴史、中国における起源から日本や諸外国における位置づけ、行政制度の概要について解説します。

📌 主なポイント

  • 県は中国の春秋時代に辺境の行政区画として始まった。
  • 日本では明治4年(1871年)の廃藩置県により全国的な行政区分として確立された。
  • 漢字文化圏以外の諸外国における特定の広域行政区画の日本語訳としても「県」が用いられる。

(けん)とは、地方のための行政機関および行政区画の一種である。正字(旧字体)は「縣」であり、もとは釣り下がる意を表した。元々は中国における地方行政の名称であり、官庁を指したほか、やがてその長の管轄する範囲をも表すようになった。

県の歴史

県の制度の起源は中国の春秋時代に遡り、当時は辺境の地に設けられていた。秦・晋・魏などの大国は、新たに併合した地方の古来の邑の自治権を廃し、代わりに県を置いた。春秋後期になると県制度は内地にまで及び、代わって辺境には郡が設けられるようになった。郡の面積は県よりも広く、人口は希薄であり、地位としては県よりも低いものとされていた。

戦国時代になると、郡が発展するとともにその下へ県が置かれるようになり、始皇帝による統一によって郡県制が確立された。隋や唐の時代以後は、県は府や州、あるいは郡、監、庁などに隷属する構造へと変化していった。

日本の県における展開

日本では、中国の制度を取り入れ、明治維新後の近代化政策の一環として江戸時代までの「藩」を廃止して「県」を置く「廃藩置県」が実施された。これにより、現代につながる地方自治および地方公共団体の基盤が築かれた。

律令制以前には、中央から派遣された豪族が一定の自治権を持つ「国」のほか、朝廷の直轄領である「県(あがた)」が地域区分の単位として用いられていた。しかし、律令制の確立に伴い「国(令制国)・郡・里(郷)」という地方区分が整うと、「県」は行政区画としての独立した単位ではなくなり、郡名などの地名の一部に名残をとどめるのみとなった。

明治維新後、新政府は直轄地とした旧幕府領や旗本領に「県」を設置し、1871年(明治4年)7月の廃藩置県によって全国的な行政区分へと発展させた。

諸外国における「県」の訳語と行政区画

漢字文化圏以外の国の行政区画を日本語へ翻訳する際、比較的狭い範囲の広域行政区画に対して「県」の語が当てられることがある。例えば、フランスの「デパルトマン(Département)」やイタリアの「プロヴィンチャ(provincia)」などがこれに該当する。ただし、国ごとの統治機構や権限の構造によって、対応する行政区画の性格は異なる。

よくある質問

県の漢字の由来は何ですか?
正字である「縣」は、もと木などに釣り下がる様子を表した文字であり、そこから中央から派遣された官庁やその管轄区域を指すようになりました。
日本の近代的な県制度はどのように始まりましたか?
明治維新後の1871年(明治4年)7月に行われた「廃藩置県」により、従来の藩が廃止され、全国的な行政区分として県が置かれたことで現代の基礎が築かれました。

関連記事

行政区画地方公共団体郡県制廃藩置県

参考文献

  • 行政区画および歴史地理学に関する各種事典および文献