東ヨーロッパ史
ルーマニア公国(1859年-1881年)

1859年のワラキアとモルダヴィアの連合から1881年の王国成立までのルーマニア公国の歴史、政治的背景、独立への過程を解説します。
📌 主なポイント
- ✓1859年1月24日、ワラキア公国とモルダヴィア公国がアレクサンドル・ヨアン・クザを公に選出し、連合が成立した。
- ✓1878年のベルリン条約により、オスマン帝国からの独立が国際的に承認された。
- ✓1881年3月14日、カロル1世の即位によりルーマニア王国へ移行した。
ルーマニア公国は、1859年にワラキア公国とモルダヴィア公国が連合して成立した国家です。この連合は、オスマン帝国の宗主権下にある自治公国としての地位を維持しつつ、近代国家への道を歩む重要な転換点となりました。1881年に王制へ移行し、ルーマニア王国が成立するまで存続しました。

成立の背景
19世紀、ワラキアとモルダヴィアの両公国は、オスマン帝国の衰退とロシア帝国やオーストリア帝国といった周辺列強の干渉という複雑な国際情勢の中にありました。クリミア戦争後のパリ条約(1856年)を経て、両公国の自治権は国際的に再確認され、民族統一の機運が高まりました。
連合の形成とアレクサンドル・ヨアン・クザ
1859年1月、ワラキアとモルダヴィアの双方がアレクサンドル・ヨアン・クザを公に選出したことで、事実上の連合が成立しました。当初は「モルダヴィア=ワラキア連合公国」として出発し、行政の統合や近代化改革が推進されました。1862年には国称が「ルーマニア連合公国」へと変更されました。

独立と王制への移行
1866年、クザ公が退位し、ドイツのホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家からカロル1世が公として迎えられました。カロル1世の下で憲法が制定され、国名は「ルーマニア公国」となりました。1877年に勃発した露土戦争において、ルーマニアはロシア側で参戦し、1878年のベルリン条約によってオスマン帝国からの完全な独立を国際的に承認されました。その後、1881年にカロル1世が国王として即位し、ルーマニア王国へと発展しました。


よくある質問
ルーマニア公国はいつ成立しましたか?
1859年1月24日に、ワラキア公国とモルダヴィア公国がアレクサンドル・ヨアン・クザを共通の公として選出したことで成立しました。
オスマン帝国からの独立はいつ達成されましたか?
1877年から1878年の露土戦争を経て、1878年のベルリン条約により国際的に独立が承認されました。
なぜルーマニア公国はルーマニア王国に移行したのですか?
1881年に憲法改正と王制への移行が行われ、カロル1世が国王として即位したことで、国家の地位を公国から王国へと高めました。
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参考文献
- Anuarul Statistic al României 1937 si 1938. Bucharest: INSSE. (1939). p. 41