レーモン・ルーセル:フランスの小説家・詩人における言語実験と生涯

📌 主なポイント
- ✓レーモン・ルーセルは1877年1月20日にパリで生まれた。
- ✓代表作『アフリカの印象』や『ロクス・ソルス』では、同音異義語などを用いた独自の言語実験的手法が駆使された。
- ✓生前はシュルレアリストたちから高く評価されたが、一般の読者や批評界からは長らく理解されなかった。
- ✓1933年7月14日にシチリア島パレルモのホテルで死去した。
レーモン・ルーセル(Raymond Roussel, 1877年1月20日 - 1933年7月14日)は、フランスの小説家、詩人である。同音異義語や独自の厳格な構文規則を用いた言語実験的な作品で知られ、ダダイストやシュールレアリスト、さらには後の現代思想家たちに多大な影響を与えた。
生涯と音楽的背景
パリのマルゼルブ通りに、株式仲買人の父と資産家の母の間の三人兄弟の末っ子として生まれる。裕福な家庭環境の中で育ち、13歳の頃からピアノを学び始めた。1889年にパリ国立高等音楽・舞踊学校のピアノ科を受験し、翌年に予備科へ入学、1893年に合格してピアニストを目指した。

しかし在学中に詩作に目覚め、17歳の時に「わが魂」を執筆。1896年には処女作となる長編韻文小説『代役』を自費出版した。この執筆中に「栄光の感覚」を味わったとされるが、作品はまったく評価されず、後にうつ病の発作に悩まされる契機となった。その後も兵役期間中を含めて創作活動を続け、独自の言語的アナロジーを用いた作品を発表していった。
主要作品と演劇の舞台
1909年に新聞連載され、翌年に出版された『アフリカの印象』は、熱帯アフリカを舞台にした難解な作品であった。ルーセルはこの作品を自費で芝居として脚色し、1911年にアントワーヌ座等で上演した。その奇抜な演出は当時の観客を困惑させたが、ギヨーム・アポリネールやマルセル・デュシャン、ミシェル・レリスらの芸術家に強い印象を残した。

続いて1914年には同様の手法を用いた小説『ロクス・ソルス』を刊行し、1922年には大規模な舞台化も行われた。劇場の観客との間で激しい衝突や騒動が起きることもあったが、アンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリストたちから熱烈な支持を受ける要因ともなった。
晩年と創作手法の公開
多額の相続財産を自らの出版や大規模な演劇公演につぎ込んだ結果、ルーセルは財産を使い果たし、1928年に自宅を売却した。1932年には、構文をさらに極端にした長編韻文作品『新アフリカの印象』を出版した。

1933年に『私はいかにして或る種の本を書いたか』の原稿を死後刊行の指定とともに預け、イタリアのシチリア島パレルモへ赴いた。同年7月14日、ホテルの部屋で死去しているのが発見された。彼の創作における「手法(procédé)」の全貌は、死後に刊行された『私はいかにして或る種の本を書いたか』の中で明かされることになった。
よくある質問
レーモン・ルーセルとはどのような人物ですか?
レーモンの代表的な作品は何ですか?
ルーセルの作品はどのように評価されましたか?
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参考文献
ミシェル・フーコー『レーモン・ルーセル』法政大学出版局、1975年。