リヒャルト・ヴィルシュテッターの生涯と業績

📌 主なポイント
- ✓1872年8月13日にドイツ帝国カールスルーエで生まれた。
- ✓ミュンヘン大学でアドルフ・フォン・バイヤーの下で学び、1894年に博士号を取得した。
- ✓クロロフィルの構造決定などの植物色素研究により、1915年のノーベル化学賞を受賞した。
- ✓1924年、反ユダヤ主義の圧力に抗議してミュンヘン大学の職を辞任した。
- ✓1942年8月3日にスイスのロカルノ近郊ムラルトで死去した。
リヒャルト・マルティン・ヴィルシュテッター(Richard Martin Willstätter, 1872年8月13日 - 1942年8月3日)は、ドイツの化学者である。クロロフィルの構造決定をはじめとする植物色素の研究により、1915年にノーベル化学賞を受賞した。

生涯と教育
カールスルーエのユダヤ人の家庭に生まれた。同地の学校に通った後、一家のニュルンベルクへの転居に伴い工科学校へ進学した。18歳でミュンヘン大学に入学して科学を専攻し、同大学の化学科でアドルフ・フォン・バイヤーの下で学び、1894年にコカインの構造に関する研究で博士号を取得した。その後は研究員およびバイヤーの助手としてアルカロイドの構造研究を続け、いくつかの合成に成功している。1896年に講師となり、1902年には臨時教授に就任した。
クロロフィルと植物色素の研究
1905年にチューリッヒ工科大学の教授に就任し、そこでクロロフィルの研究に着手した。彼はクロロフィルの構造を解析し、血液色素であるヘムが、クロロフィル中に存在するポルフィリン化合物と類似していることを明らかにした。1912年にはベルリン大学の化学教授およびカイザー・ヴィルヘルム化学研究所の所長に就任し、花や果物に含まれる色素の構造解析へと研究を広げた。これらの業績が評価され、1915年にノーベル化学賞を受賞している。

大学の辞職と晩年
1916年にミュンヘン大学へ戻り、恩師バイヤーの後任となった。1920年代には酵素反応機構の研究に従事した。第一次世界大戦中にはフリッツ・ハーバーからの要請を受けてガスマスクの開発にも協力している。
しかし、1924年には高まる反ユダヤ主義の圧力に対する抗議としてミュンヘン大学の教授職を辞任した。その後は国内外からの多くの要請を断り、ミュンヘンで隠遁生活を送った。1939年からはスイスのロカルノ近郊へ移り住み、亡くなるまでの数年間は自伝の執筆に費やした。1942年8月3日に心臓発作によりスイスのムラルトで死去した。
よくある質問
リヒャルト・ヴィルシュテッターはどのような業績でノーベル賞を受賞しましたか?
ヴィルシュテッターはどの大学で学位を取得しましたか?
ミュンヘン大学の教授職を辞任した理由は何ですか?
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参考文献
2. Richard Willstätter - Biography at nobelprize.org.
3. Richard Willstätter: Aus meinem Leben, edited by A. Stoll, Verlag Chemie, Weinheim, 1949; English edition: From My Life, Benjamin, New York, 1965.