日本の歴史
立志社 (明治時代の政治団体)
明治時代の自由民権運動において中心的な役割を果たした高知県の政治団体「立志社」の歴史、設立の経緯、活動内容について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1874年に板垣退助や片岡健吉らによって設立された。
- ✓自由民権運動の拠点として、国会開設や憲法制定を求めた。
- ✓1883年に解散し、海南自由党の本部へと引き継がれた。
立志社(りっししゃ)は、明治時代初期に高知県(旧土佐藩)で結成された政治団体である。自由民権運動の拠点として、国会開設や憲法制定を求める運動を主導したことで知られる。
設立の経緯
1874年(明治7年)、板垣退助、片岡健吉、植木枝盛、林有造らによって設立された。板垣らが左院に「民撰議院設立建白書」を提出した後に帰郷し、旧土佐藩士族の有志を集めて結成した団体である。名称は、サミュエル・スマイルズの『セルフ・ヘルプ』を中村正直が翻訳した『西国立志編』に由来している。
活動と目的
当初は青年子弟の教育や、困窮士族の救済・授産活動を目的として掲げ、立志学舎や商局、法律研究所を併設した。その後、天賦人権論に基づき、憲法制定、国会開設、租税軽減、不平等条約改正、地方自治の確立を要求する「立志社建白書」を1877年(明治10年)に提出するなど、政治的色彩を強めていった。
また、『海南新誌』や『土陽雑誌』、『土陽新聞』などの刊行物を通じて民権思想の普及に努めたほか、立志社憲法見込案を発表するなど、民主主義の理念を具体化する活動を展開した。
立志社の獄と組織の終焉
1877年8月、西南戦争に乗じて大阪鎮台を攻撃する計画に関与した疑いで、社長の片岡健吉を含む幹部が拘束される「立志社の獄」が発生した。その後も組織は存続し、国会期成同盟の中心的役割を担ったが、政府による弾圧が強まる中で組織の改編を繰り返した。1883年(明治16年)3月20日、社員協議を経て解散し、社屋は「後楽館」と改称されて海南自由党の本部となった。
よくある質問
立志社はいつ設立されましたか?
1874年(明治7年)に設立されました。
立志社の名称の由来は何ですか?
サミュエル・スマイルズの著書『セルフ・ヘルプ』を中村正直が翻訳した『西国立志編』に由来します。
立志社はなぜ解散したのですか?
政府による弾圧が強まる中、1883年3月20日に社員協議を経て解散しました。
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参考文献
- 宇田友猪,和田三郎『自由党史 上巻』五車楼、1910年。
- 宇野俊一ほか編『日本全史(ジャパン・クロニック)』講談社、1991年。
- 谷是『高知県謎解き散歩』新往来社、2012年。