歴史
古代ローマの市民とアイデンティティの歴史的変遷
古代ローマにおけるローマ人(ローマ市民権保有者)の定義や、時代による変遷、民族的背景について歴史的事実に基づいて解説します。
📌 主なポイント
- ✓ローマ人は初期にはラテン人を母体としていたが、時代とともに市民権の拡大に伴い多様な民族を含むようになった。
- ✓カラカラ帝のアントニヌス勅令により、帝国内の全自由民にローマ市民権が拡大された。
- ✓東ローマ帝国の住民は、15世紀の帝国滅亡まで自らを「ローマ人(ローマイオイ)」と称していた。
ローマ人とは、古代ローマにおいて国籍にあたるローマ市民権を得た者を指す言葉である。その背景や定義は、時代や社会情勢によって大きく異なっていた。
ラテン人としての起源
古代のイタリア半島中部に居住していたインド・ヨーロッパ語族系の民族であるラテン人がその母体となった。ローマはもともとラテン人の都市国家の一つであり、ラティウム戦争を経てすべてのラテン人がローマ住民となったことで、両者は同一化した。
市民権の拡大と多様化
ローマ共和国およびローマ帝国(セウェルス朝まで)の時代においては、ローマ市民権を付与された者が「ローマ人」とみなされた。同盟市戦争を経てイタリア半島在住者に市民権が拡充されたほか、補助軍での軍役、あるいは植民者との混血などによってローマ化が進んだ人々にも付与されることが多かった。一方で、イタリア半島南部のギリシア系住民、多額の納税による取得、異民族の有力者に対する名誉的な市民権の付与なども行われたため、必ずしもラテン人の血統を引かない者や、ラテン語を母語としない人々も存在した。
帝政後期から東ローマ帝国への継承
帝政中期、カラカラ帝が発令した「アントニヌス勅令」により、帝国内の全自由民にローマ市民権が与えられた。これによりローマ市民権の対象者は飛躍的に拡大し、特定の民族を指す言葉ではなく、ローマ領内の民衆一般を意味する言葉へと変化した。ローマ帝国の東西分裂後、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では住民の大半がギリシア系であったが、彼らは15世紀の帝国滅亡に至るまで「ローマ人(ギリシア語: Ρωμαίοι、ローマイオイ)」と自称し続けた。帝国滅亡後も、オスマン帝国においては正教徒のことを「ルーム(ローマ人)」と呼び習わした。
関連項目
- ルーマニア人
よくある質問
ローマ人とはどのような人々のことですか?
古代ローマにおいて「ローマ市民権」を保有していた人々のことを指します。時代によってその範囲や血統的背景は大きく異なります。
ラテン人とローマ人の関係は何ですか?
ローマはもともとラテン人の都市国家の一つであり、ラティウム戦争を経てラテン人はローマ住民と同一化しました。
アントニヌス勅令とは何ですか?
帝政中期にカラカラ帝によって出された勅令で、ローマ帝国内のすべての自由民にローマ市民権を付与することを定めたものです。
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参考文献
ウィキペディア日本語版「ローマ人」項目の記述に基づく。