日本の元号
暦応(日本の元号)
暦応(れきおう)は、日本の南北朝時代に北朝で使用された元号。1338年から1342年までの期間を指し、光明天皇の代に制定されました。
📌 主なポイント
- ✓暦応は南北朝時代の北朝で使用された元号で、期間は1338年から1342年までである。
- ✓「ら行」で始まる数少ない元号の一つである。
- ✓改元の決定が幕府に伝わるまで時間がかかるなど、当時の公武間の関係性を示す記録が残っている。
暦応(れきおう、旧字体:曆應)は、日本の南北朝時代に北朝(持明院統)が使用した元号の一つです。建武の後、康永の前にあたり、1338年から1342年までの期間を指します。
概要
暦応は、北朝の光明天皇の即位に伴う代始改元として、建武5年8月28日(ユリウス暦1338年10月11日)に制定されました。その後、災異改元を経て、暦応5年4月27日(ユリウス暦1342年6月1日)に康永へと改元されました。
この元号は「ら行」で始まる極めて珍しい元号の一つとして知られています。日本の元号において「ら行」で始まるものは、歴史上「霊亀」「暦仁」「暦応」「令和」の4例しか存在しません。
改元の経緯
暦応への改元は、朝廷から室町幕府への伝達が遅れたという記録が残っています。江戸時代の歴史書『続史愚抄』によると、改元の決定が幕府側に伝わったのは9月4日のことであったとされています。この事実は、洞院実夏の『実夏公記』暦応元年8月28日条からも裏付けられており、当時の公武間における情報伝達の状況をうかがわせる事例として挙げられます。
元号の出典
元号の出典は、『帝王世紀』に収められた文節「堯時有草 夾階而生……王者以是占暦 応和而生」に由来します。改元の勘申(朝廷の儀式や先例を調べて上申すること)は、当時の勘解由長官であった菅原公時(唐橋公時)が担当しました。
暦応期の主な出来事
暦応の期間中は、南北朝の争乱が激化していた時期にあたります。
- 1338年(暦応元年):足利尊氏が光明天皇から征夷大将軍に任命されました。また、青野原の戦い、石津の戦い、藤島の戦いといった軍事衝突が発生しました。
- 1339年(暦応2年):後醍醐天皇が崩御し、後村上天皇が即位しました。足利尊氏が天龍寺の創建を決定しました。
- 1341年(暦応4年):塩冶高貞が誅殺される事件が発生しました。
- 1342年(暦応5年):天龍寺船が元朝中国へ派遣されました。
よくある質問
暦応はいつからいつまでの元号ですか?
ユリウス暦で1338年から1342年までの期間です。
暦応の元号の出典は何ですか?
『帝王世紀』に収められた文節「堯時有草 夾階而生……王者以是占暦 応和而生」が由来とされています。
「ら行」で始まる元号には他に何がありますか?
歴史上、「霊亀」「暦仁」「令和」の3つがあります。
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参考文献
- 小学館『デジタル大辞泉』「暦応」
- 三省堂『大辞林』第3版「暦応」
- 小学館『精選版 日本国語大辞典』「暦応」
- 講談社『日本の元号がわかる事典』「暦応」
- 久水俊和『室町期の朝廷公事と公武関係』岩田書院、2011年。