歴史的建造物
凌雲閣:明治の浅草を象徴した十二階の展望塔

明治時代に東京・浅草で親しまれた高層展望塔「凌雲閣(浅草十二階)」の歴史、構造、そして関東大震災による終焉までを解説します。
📌 主なポイント
- ✓1890年(明治23年)に開業した高さ約52メートルの12階建て展望塔。
- ✓日本初の電動式エレベーターが設置されたが、故障が多発し早期に停止した。
- ✓1923年(大正12年)の関東大震災で上部が倒壊し、その後爆破解体された。
凌雲閣(りょううんかく)は、明治時代に東京の浅草に建設された高層展望塔である。その外観から「浅草十二階」の通称で広く親しまれ、当時の日本における近代化の象徴として、また浅草の歓楽街を代表するランドマークとして知られた。
建設と構造
東京の凌雲閣は、1890年(明治23年)11月11日に開業した。設計は英国人技師のウィリアム・K・バルトンが担当し、煉瓦造りの10階建てに木造の11・12階を載せた構造であった。高さは約52メートルに達し、当時としては日本で最も高い建築物であった。
塔内には日本初となる電動式エレベーターが設置されたが、開業直後から故障が頻発し、後に使用が中止された。内部には諸外国の物品を販売する店舗が並び、展望室からは東京市内や遠く関八州の山々までを見渡すことができた。
浅草のランドマークとしての役割
完成当初、凌雲閣は「日本のエッフェル塔」とも称され、多くの見物客で賑わった。明治・大正期の絵葉書や映画にもその姿が頻繁に登場し、浅草六区の象徴的な存在となった。一方で、経営難から客足が減少した時期には、階段の壁面に芸者の写真を掲示する「東京百美人」といったイベントを開催し、集客を図った。
関東大震災と終焉
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により、凌雲閣は8階部分から上部が折れる形で倒壊した。この崩壊により、頂上付近にいた見物客が巻き込まれる惨事となった。経営状況から復旧は困難と判断され、同年9月23日に陸軍赤羽工兵隊によって爆破解体された。これにより、明治から大正にかけて浅草の空を彩った「十二階」は姿を消した。
遺構と記念碑
長らくその正確な位置は不明な点もあったが、近年の発掘調査により、現在の台東区浅草2丁目14番付近に基礎部分の遺構が確認されている。跡地周辺には記念碑が設置され、かつての凌雲閣の記憶を伝えている。
よくある質問
凌雲閣はなぜ「浅草十二階」と呼ばれたのですか?
建物が12階建てであったことから、地元の人々を中心に「浅草十二階」や単に「十二階」という通称で親しまれました。
凌雲閣は現在も残っていますか?
いいえ、現存しません。1923年の関東大震災で半壊し、その後、陸軍によって爆破解体されました。
凌雲閣のエレベーターはどのようなものでしたか?
日本初の電動式エレベーターとして設置されましたが、開業当初から故障が相次ぎ、1891年には使用が中止されました。
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参考文献
- 佐藤健二『浅草公園 凌雲閣十二階――失われた<高さ>の歴史社会学』弘文堂、2016年。
- 堀口甚吉「浅草12階凌雲閣の建築について」『大会学術講演梗概集. 計画系』第43号、日本建築学会、1968年。
- 大澤昭彦「建物高さの歴史的変遷(その1)―日本における建物の高さと高層化について―」『土地総合研究』第16巻第2号、2008年。