三陸地方および三陸海岸の地理的・歴史的概説

📌 主なポイント
- ✓三陸という名称は、明治元年12月7日(1869年1月19日)に設置された陸奥国、陸中国、陸前国の3国に由来する。
- ✓三陸海岸は、青森県八戸市の鮫角岬から宮城県の牡鹿半島に至るリアス式海岸である。
- ✓三陸沖は、親潮と黒潮が交差する太平洋の海域であり、重要な漁場として知られている。
三陸(さんりく)は、日本の東北地方太平洋側にあたる青森県、岩手県、宮城県にまたがる地域名である。地理的には北上山地およびその東側の太平洋に面する海岸部を指し、歴史的な令制国名に由来している。
名称の由来と歴史的背景
江戸時代、現在の岩手県釜石市周辺(石塚峠など)を境として、北側は南部氏が統治する盛岡藩および八戸藩の領内であり、南側は伊達氏の仙台藩の知行域となっていた。当時、三陸沿岸全体を総称する広域地名は存在せず、南部藩領内では「三閉伊通」や「海辺道」などの呼称が用いられていた。
明治元年12月7日(1869年1月19日)、戊辰戦争に伴う処分や行政区画の再編により、太政官布告によって旧来の陸奥国が5つに分割された。この時、おおむね旧藩の知行域に対応する形で陸奥国、陸中国、陸前国の3国が設置された。これら3つの「陸」の字を持つ国は「三陸」と総称されるようになり、地域を指す言葉として定着していった。

三陸海岸の地理と特徴
青森県八戸市の鮫角岬から、岩手県の太平洋側を経て宮城県の牡鹿半島に至るまでの海岸線は、典型的なリアス式海岸を形成しており、付属諸島を含めて三陸海岸と呼ばれている。複雑に入り組んだ海岸線と豊かな海洋環境を背景に、古くから漁業や水産業が盛んな地域である。
1896年(明治29年)6月15日に発生した明治三陸地震による津波災害では甚大な被害がもたらされた。災害発生当時、沿岸全体をまとめる汎用的な呼称が定まっていなかったが、報道などを通じて「三陸」の語が用いられるようになり、災害名や海岸の名称としても広く浸透していった。
三陸沖の海域と漁場
太平洋側の海域および漁場としては「三陸沖」の名称が用いられる。三陸沖は、寒流である親潮と暖流である黒潮が交差する潮目にあたり、世界的な好漁場の一つとして知られている。
気象庁や国土交通省、農林水産省などの国の機関においては、文脈や用途に応じて複数の海域定義が使い分けられている。一般の海上気象予報や海洋観測では、東北地方の太平洋側沖合を広く「三陸沖」として扱うことが多く、東経145度線を境に西部と東部に区分されることもある。また、福島県沖から茨城県沖にかけての海域は「常磐沖」として区別されることが多い。
よくある質問
三陸という名称はどこから来ましたか?
三陸海岸はどの範囲を指しますか?
三陸沖とはどのような海域ですか?
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参考文献
- 三陸地方(コトバンク、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典の解説)
- 米地文夫, 今泉芳邦「地名「三陸海岸」の変遷に関する地理学的ならびに社会学的問題」岩手大学教育学部研究年報, 1994年.
- 日本および日本の周辺を個別的に表す地名(国土交通省・気象庁)