参与(さんよ)の歴史的変遷と現代における役割

📌 主なポイント
- ✓参与は、事務や職務に参画することを意味する言葉であり、歴史的および現代的な職称として用いられる。
- ✓明治維新期の1868年(慶応3年)の王政復古に伴い、総裁・議定とともに新政府の三職の一つとして参与が設置された。
- ✓現代の日本国政府では、内閣官房参与などの非常勤の国家公務員として、有識者が特定の行政事務における相談役を務める。
- ✓日本相撲協会においても、年寄の再雇用制度や処遇に関連して参与の階級が置かれている。
参与(さんよ)とは、一般に事務や職務に参画することを指す言葉である。歴史的には明治時代初期の新政府において重要な官職として設置され、現代においても政府の政策立案や企業の組織運営において類似の職称として用いられている。

一般的用法と現代の組織
組織経営において、経営者を補助する立場にある者に対して冠せられる職称である。日本の企業等では、取締役や理事などの経営幹部の下位にあって業務管理を行う役職として用いられることがあり、「参事」などの職階とともに管理職層を構成する例が見られる。ただし法律で一律に定められたものではないため、その呼称や位置づけは組織によって異なる。
現代日本政府における用法
現代の日本国政府においては、有識者を特定の行政事務における相談役として任命し、非常勤の国家公務員の地位を与える制度として「内閣官房参与」や「内閣府政策参与」、「防衛大臣政策参与」などが置かれている。政策決定における直接的な比重は特命顧問などと比較して相対的に低いとされるが、国政上の重要人物や知識人が起用されることが多い。
明治時代の「参与」
1868年1月3日(慶応3年12月9日)の王政復古の政変によって新設された三職(総裁・議定・参与)の一つである。堂上の廷臣(公家)および諸藩士によって構成され、初期の維新政府において実質的な政策立案や行政事務を担った。上の参与と下の参与に分かれ、特に下ノ参与には西南雄藩出身の有力藩士が多数登用された。その後、政体書の制定や官制改革を経て議政官や行政官に属し、明治2年7月8日(1869年8月15日)の職員令の制定に伴い廃止され、その職務の多くは新設された参議などに引き継がれた。
日本相撲協会における参与
日本相撲協会においては、1959年(昭和34年)に主任と年寄の間の階級として参与が制定された。当初は幹部や準幹部を処遇するためのものだったが、のちに病気療養中の年寄が任命されるようになり、一度廃止された後、定年後の再雇用に関する規定の承認に伴って再導入されている。