歴史

第二次イゾンツォの戦い:第一次世界大戦のイタリア戦線における会戦

第二次イゾンツォの戦い:第一次世界大戦のイタリア戦線における会戦
第一次世界大戦中の1915年7月から8月にかけてイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の間で戦われた第二次イゾンツォの戦いに関する歴史的解説。

📌 主なポイント

  • 第二次イゾンツォの戦いは1915年7月18日から8月3日にかけて行われた。
  • イタリア軍の総司令官はルイージ・カドルナであった。
  • 1915年7月25日、イタリア軍は戦略的に重要なサン・ミケーレ山を占領した。
  • 戦闘の結果、イタリア軍の戦略的辛勝となったが、双方に甚大な損害が生じた。

第二次イゾンツォの戦い(だいにじいぞんつおのたたかい、イタリア語:Seconda battaglia dell'Isonzo, ドイツ語:Zweite Isonzoschlacht)は、第一次世界大戦中のイタリア戦線において、1915年7月18日から8月3日にかけてイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の間で戦われた会戦である。イゾンツォ川周辺を舞台とした一連の戦闘のなかの一つであり、前月に起きた第一次イゾンツォの戦いに続く攻勢として実施された。

第一次イゾンツォから第十一次イゾンツォまでの戦況図
第一次イゾンツォから第十一次イゾンツォまでの戦況図

戦闘の背景

第一次イゾンツォの戦いにおける失敗の後、イタリア軍の総司令官であったルイージ・カドルナは、増強された砲兵部隊の支援を背景に、オーストリア=ハンガリー帝国軍の陣地に対して新たな攻撃を加えることを決定した。イタリア軍は兵力および火砲の数で優勢に立っていたものの、前回の戦闘と同様に、敵陣の鉄条網を十分に切断するための機材が不足しており、戦術的な機動力が大きく制限される要因となった。

戦闘の経過

イタリア第2軍および第3軍が攻勢をかけたカルスト高地、特にネッロ山周辺では激しい白兵戦が展開され、両軍に甚大な損害が生じた。この混戦の中では銃剣やナイフのみならず、様々な金属片なども戦闘に用いられたと言われている。ハンガリー第20師団は大きな打撃を受け、将兵の多数を失い後送される事態となった。

1915年7月25日、イタリア軍はサン・ミケーレ山を占領した。同山はそれほど険しい山ではなかったものの、周辺の広範囲を視認して火砲を管制できる重要な制高点であった。オーストリア=ハンガリー帝国軍はリヒター大佐が指揮する精鋭連隊を派遣して奪還のための反撃を試みたが、陣地の奪還には至らなかった。

戦闘の結果と影響

両軍ともに弾薬を消耗し尽くしたことにより、戦闘は終結した。約3週間に及ぶ戦闘の結果、双方合せて多大な戦死傷者が発生し、イタリア軍の戦略的辛勝という結果に終わったものの、決定的な突破口を開くことはできなかった。

よくある質問

第二次イゾンツォの戦いはいつ行われましたか?
1915年7月18日から8月3日にかけて行われました。
交戦勢力はどこですか?
イタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国です。
戦闘の結果はどうなりましたか?
イタリア軍の戦略的辛勝となりましたが、両軍ともに大きな損害を出しました。

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参考文献

FirstWorldWar.com - The Second Battle of the Isonzo, 1915; 各種第一次世界大戦戦史資料