第一次世界大戦における第二次イーペル会戦の歴史と毒ガス戦の導入

📌 主なポイント
- ✓第二次イーペル会戦は1915年4月22日から5月25日にかけて行われた。
- ✓人類史上初めて戦線レベルの大規模な塩素ガスによる毒ガス攻撃が実施された。
- ✓化学者のフリッツ・ハーバーらがガス放出の監督に関与した。
第二次イーペル会戦は、第一次世界大戦中の1915年4月22日から5月25日にかけて、ベルギーのウェスト=フランデレン州イーペル周辺で行われた戦闘である。連合軍の反攻によって前年秋に失陥したイーペルを再び奪取するため、ドイツ軍が攻勢に出たことによって引き起こされた。

背景と毒ガス戦の提案
1914年に勃発した第一次世界大戦が塹壕戦による膠着状態に陥る中、ドイツの科学者ヴァルター・ネルンストは自動車運転兵として軍に志願し、前線の状況を目の当たりにした。彼はドイツ軍参謀のマックス・バウアー大佐に対し、催涙ガスによる奇襲で敵を塹壕から追い出す戦術を提案した。その後、化学者のフリッツ・ハーバーが実地試験を観察し、より比重の重い塩素ガスを使用することを提案した。

ドイツ軍司令官エーリッヒ・フォン・ファルケンハインはこの新兵器の試用に同意した。当初は同盟国オーストリア=ハンガリーのロシア帝国に対するゴリツェ=タルヌフ攻勢を援助するための陽動作戦として位置づけられていた。ガスの放出には、シリンダーから液体塩素を噴霧する方法がとられ、ハーバーらの監督のもとで前線に大量のガスボンベが設置された。
戦闘の経過
イギリス軍のE・A・ジェームズ中尉による記録などでは、この会戦は複数の局地戦に分類されている。主な戦闘として、グラーヴェンシュターフェルの戦い(4月22日〜23日)、サン・ジュリアンの戦い(4月23日〜5月4日)、フレゼンベルクの戦い(5月8日〜13日)、ベルワールの戦い(5月24日〜25日)が挙げられる。
1915年4月22日の夕方、ドイツ軍はランゲマルク村からグラーヴェンシュタフェル村にかけての戦線で、大規模な塩素ガスを放出した。ガス雲の直撃を受けたフランス軍などの守備部隊は甚大な死傷者を出し、前線に大きな空白が生じることとなった。

