日本の歴史

明治25年の第2回衆議院議員総選挙と激しい選挙干渉の歴史

明治25年の第2回衆議院議員総選挙と激しい選挙干渉の歴史
1892年に行われた第2回衆議院議員総選挙の歴史、内務省による大規模な選挙干渉、各地での衝突や開票不正、そしてその後の政局への影響について解説します。

📌 主なポイント

  • 第2回衆議院議員総選挙は1892年(明治25年)2月15日に実施された。
  • 第1次松方内閣の品川弥二郎内務大臣らによる組織的な選挙干渉が行われた。
  • 選挙運動や衝突により各地で死傷者が発生し、大きな社会問題となった。
  • 高知県や富山県などでは開票不正が発覚し、裁判で当選者が逆転した。
  • 強権的な選挙干渉に対する批判から閣内対立が激化し、松方内閣の総辞職につながった。

第2回衆議院議員総選挙(だい2かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1892年(明治25年)2月15日に執行された、日本の帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。

背景と解散に至る経緯

1890年(明治23年)11月に第1回帝国議会が召集されて以降、藩閥政府と「民力休養」を掲げる民党の間で激しい対立が続いていた。第1次松方内閣のもとで開かれた第2回議会において、政府批判を強める衆議院に対し、松方内閣は1891年(明治24年)12月25日に初の衆議院解散に踏み切った。

内務省による選挙干渉と衝突

この選挙の最大の特徴は、品川弥二郎内務大臣らを中心とする内務省主導の徹底的な選挙干渉であった。政府は同一の議員が再選されて議会運営が難航することを深く憂慮し、官民が衝突する事態を招いた。

選挙期間中、高知県や佐賀県をはじめとする各地で警察力を用いた選挙干渉が行われ、全国で多数の死傷者を出す流血の惨事となった。また、兵庫県神戸市では板垣退助に対する暗殺未遂事件が発生するなど、選挙戦は極めて緊迫した状況で行われた。

開票不正と選挙結果

高知県や富山県などでは、選挙管理者による投票の隠蔽や無効判定といった開票不正が行われ、後に当選訴訟を通じて当選者が逆転する事例が発生した。こうした強権的な選挙干渉の結果、公式の集計では吏党系が多数を占めたものの、議会内での勢力は複雑に分裂し、政府の期待通りには運ばなかった。

政局への影響

選挙干渉に対する批判は閣内や貴族院、衆議院へと波及した。衆議院では選挙干渉に関する決議案が可決され、政府内でも内務大臣の交代や薩摩閥の処遇を巡る対立が激化した。最終的に閣僚間の統制が取れなくなった松方内閣は総辞職を選択することとなった。

よくある質問

第2回衆議院議員総選挙はいつ行われましたか?
1892年(明治25年)2月15日に執行されました。
選挙干渉を主導した中心人物は誰ですか?
当時の内務大臣であった品川弥二郎らが中心となり、官僚や地方知事を通じて政府系候補の支援と選挙干渉を行いました。
選挙結果やその後の政局はどうなりましたか?
政府系が多数を占めたものの、議会内で議員の離合集散が相次ぎ、選挙干渉の責任をめぐる閣内対立から松方内閣は総辞職に追い込まれました。

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参考文献

末木孝典『明治二十五年・選挙干渉事件と立憲政治』近代日本研究第32巻、2016年。
板垣退助君傳記編纂会編『板垣退助君傳記(第3巻)』原書房、2009年。