日本の歴史・法令

明治初期の基本法令・政体書の概要と歴史的背景

明治初期の基本法令・政体書の概要と歴史的背景
明治初期に発布された統治機構・政治大綱を定める太政官の布告「政体書」の歴史的背景、内容、三権分立体制の実際について詳しく解説します。

📌 主なポイント

  • 政体書は明治元年(慶応4年)閏4月21日に公布された太政官の布告である。
  • 副島種臣と福岡孝弟がアメリカ合衆国憲法や『西洋事情』などを参考に起草した。
  • 冒頭に五箇条の御誓文を掲げ、立法・行政・司法の三権分立体制を志向した。

政体書(せいたいしょ)とは、明治初期における政治の大綱および統治機構を定めるために発出された太政官の布告である。正式な法令名または件名は「政体ヲ定ム」であり、明治元年(慶応4年)閏4月21日(1868年6月11日)に公布され、同年閏4月27日に頒行された。

日本国政府国章(準)
日本国政府国章(準)

制定の歴史的背景

慶応3年12月9日(1868年1月3日)の王政復古を経て成立した明治新政府は、鳥羽・伏見の戦いや江戸開城など戊辰戦争の最中であり、関東地方以西をほぼ掌握しつつも奥羽・北越地方では交戦が続いていた。それまでの臨時政府的な三職体制に代わり、国家の中央集権的な統治組織を整える必要から起草された。

副島種臣と福岡孝弟がアメリカ合衆国憲法や『西洋事情』などを参考に起草を担当した。新政府の基本方針として冒頭に五箇条の御誓文を掲げ、国家権力を総括する機関として太政官を置いた。

主な内容と統治構造

政体書に基づく新政府の組織では、国家権力を立法・行政・司法の三権に分ける「三権分立」の体制が志向された。立法を担う「議政官」、行政を担当する「行政官」「神祇官」「会計官」「軍務官」「外国官」の5官、そして司法を管轄する「刑法官」を合わせた「七官」が置かれた。

  • 第1条において、五箇条の御誓文を国家の基本方針とすることを規定した。
  • 第2条では、太政官への権力集中と立法・行政・司法の三権分立を掲げた。
  • 第3条により、立法官と行政官の兼職を原則として禁止した。
  • 官員には任期制が設けられ、第9条では各官の任期を4年とし、2年ごとに半数を改選すると定めた。
  • 第13条において、第一等官から第九等官までの官等を定めた。

体制の実際と変遷

形式的には三権分立を掲げたものの、実際の運用では議政官の上局の実力者が行政各官の責任者を兼ねたり、刑法官が行政官の監督下に置かれたりするなど、権力分立は不十分なものであった。地方統治においては府藩県三治制が採られた。

戊辰戦争の終結に伴う政治状況の変化を経て、明治2年7月8日(1869年8月15日)に新たに発布された職員令によって太政官は二官六省体制へと改められ、政体書体制は発展的に解消された。

よくある質問

政体書はいつ公布されましたか?
明治元年(慶応4年)閏4月21日(1868年6月11日)に公布され、同年閏4月27日に頒行されました。
政体書を起草したのは誰ですか?
副島種臣と福岡孝弟がアメリカ合衆国憲法などを参考に起草しました。
政体書体制はその後どうなりましたか?
戊辰戦争終結後の政治状況の変化に伴い、明治2年7月8日(1869年8月15日)に発布された職員令によって二官六省体制へと改められました。

関連記事

五箇条の御誓文太政官明治維新近代日本の官制副島種臣福岡孝弟

参考文献

  • 日本法令索引 「政体ヲ定ム 明治元年(慶応4年)閏4月21日 太政官」 国立国会図書館
  • 『法令全書 慶応3年』内閣官報局、1887年、137-139頁
  • 永原慶二監修『岩波 日本史辞典』1999年、650頁
  • 竹内理三 ほか 編『日本近現代史小辞典』角川書店、1978年、43頁