政友本党:大正期の日本における保守系政党の興亡

📌 主なポイント
- ✓政友本党は1924年1月29日に立憲政友会の分裂により結成された。
- ✓結党時は149名の議員が参加し、一時的に帝国議会の比較第一党となった。
- ✓1927年6月1日に憲政会と合流し、立憲民政党を結成して解散した。
政友本党(せいゆうほんとう)は、大正時代中期にあたる1924年(大正13年)1月に成立した日本の政党である。立憲政友会の分裂を背景に誕生し、帝国議会において一時的に第一党となったものの、数年の活動期間を経て憲政会と合流し、立憲民政党の結成へと至った。

結党の背景と成立
1921年(大正10年)に立憲政友会の総裁であった原敬が暗殺された後、党内では後継指導体制や内閣改造、普通選挙に対する方針を巡り、対立が深まっていった。1924年1月、清浦内閣の成立に対する対応を巡り、党内対立が決定的となる。高橋是清総裁の方針に反発した床次竹二郎、山本達雄、中橋徳五郎、元田肇らは離党を決断した。
多くの代議士がこれに同調し、同年1月29日に政友本党が結党された。発足時の所属議員数は149名を数え、それまで第一党であった立憲政友会を上回る比較第一党として清浦内閣の与党の位置に就いた。
歴史と政治的動向
発足直後の1924年5月に実施された第15回衆議院議員総選挙に与党として臨んだが、憲政会や立憲政友会などによる護憲三派の攻勢の前に敗北し、議席数を減らして野党へと転落した。
野党転落後は加藤高明内閣やその後の若槻礼次郎内閣に対し、時には憲政会と連携し、時には立憲政友会と共同歩調をとるなど、流動的な国会戦術を展開した。1925年の普通選挙法成立過程では、戸主(世帯主)であれば女性にも選挙権を認める修正案を提出するなど独自の主張も行ったが、否決されている。
党組織と運営の特徴
結党当初は総裁を置かず、集団指導体制をとっていたが、1924年6月の党大会で党則を改正し、床次竹二郎が総裁に就任した。
また、普通選挙法による有権者の拡大に対応するため、地方の代議士を中心とした基盤整備に加え、都市部の知識人や青年層をターゲットにした「床次会」と呼ばれる総裁後援会組織を各地に設立し、大衆的な支持基盤の獲得を図った点に特徴がある。
解散と立憲民政党への合流
1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌に伴う若槻内閣の総辞職と、田中義一内閣の成立を経て再び野党となった。この時期、政界では二大政党制への移行機運が高まりを見せていた。こうした流れの中で政友本党は憲政会との合流を決定し、1927年6月1日に両党が合併して立憲民政党が発足したことにより、その短い党史に幕を下ろした。