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妹尾義郎:新興仏教運動の指導者

妹尾義郎:新興仏教運動の指導者
妹尾義郎(1889-1961)は、戦前の日本で「新興仏教青年同盟」を率い、仏教的立場から資本主義批判や反戦運動を展開した社会運動家です。

📌 主なポイント

  • 1889年広島県生まれの仏教運動家。
  • 1931年に新興仏教青年同盟を結成し、初代委員長を務めた。
  • 戦前は治安維持法違反で検挙・入獄を経験した。
  • 1959年に日本共産党に入党した。

妹尾義郎(せのお ぎろう、1889年12月16日 - 1961年8月4日)は、日本の仏教運動家、社会運動家。仏教者の立場から資本主義を批判し、「私有なき共同社会」の建設を提唱したことで知られる。

経歴と初期の活動

広島県比婆郡東城町(現:庄原市)の造り酒屋に生まれる。旧制岡山県立高梁中学校を経て、旧制第一高等学校に入学した。在学中に肺病を患い休学を余儀なくされたが、その療養期間中に豆腐商との交流を通じて法華経に触れ、信仰を深めた。

1918年、本多日生が主宰する法華団体「統一団」に参加。翌1919年には、統一団の青年信者を中心として「大日本日蓮主義青年団」を組織した。当初は日蓮主義に基づく宗教活動が中心であったが、小作争議や労働争議といった当時の社会問題に関わる中で、次第に社会変革の必要性を強く説くようになった。

新興仏教青年同盟の結成

1931年、妹尾は日蓮主義青年団を発展的に解消し、超宗派の「新興仏教青年同盟」を結成して初代委員長に就任した。同盟は「釈迦の鑚仰と仏国土建設」「既成宗団の排撃」「資本主義経済組織の革正」を綱領に掲げ、労働運動や反戦・反ファシズム運動を積極的に展開した。

しかし、戦時体制が強化される中で同盟の活動は当局の監視対象となり、1936年には治安維持法違反の容疑で検挙された。その後、実刑判決を受けて1940年12月から入獄した。

戦後の活動

戦後は仏教社会同盟委員長や平和推進国民会議議長、日中友好協会東京都連会長などを歴任した。1959年には日本共産党に入党。1961年8月、長野県の自宅で死去した。

妹尾義郎
妹尾義郎

よくある質問

妹尾義郎が提唱した思想は何ですか?
仏教者の立場から資本主義を批判し、「私有なき共同社会」の建設を提唱しました。
新興仏教青年同盟とはどのような団体ですか?
1931年に妹尾義郎が結成した超宗派の団体で、労働運動や反戦・反ファシズム運動など、社会変革を目指す活動を行いました。
妹尾義郎は戦後、どのような活動をしましたか?
仏教社会同盟委員長や日中友好協会東京都連会長などを務め、1959年には日本共産党に入党しました。

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参考文献

  • 日本人名大辞典+Plus, 367日誕生日大事典, 世界大百科事典内言及, 改訂新版 世界大百科事典, 20世紀日本人名事典, 百科事典マイペディア, デジタル版. “妹尾義郎(せのおぎろう)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年6月30日閲覧。
  • 第一高等学校一覧 明治41-42年 125頁, 妹尾義郎 広島
  • しんぶん赤旗『戦争に反対した新興仏教青年同盟とは?』2007年10月6日