日本の歴史
思案橋事件:明治初期の士族反乱未遂事件の詳細と歴史的背景
1876年に東京の思案橋で発生した士族反乱未遂事件、思案橋事件の概要、計画、関係者の処罰について詳しく解説します。
📌 主なポイント
- ✓思案橋事件は1876年(明治9年)10月29日に発生した明治政府に対する士族反乱未遂事件である。
- ✓萩の乱に呼応する形で、旧会津藩士の永岡久茂らが計画・実行した。
- ✓事件当日の警官隊との衝突により、警察官2名が殉職した。
- ✓主犯の永岡久茂は事件時の負傷により獄死し、関係者数名が処刑された。
思案橋事件(しあんばしじけん)は、1876年(明治9年)10月29日に東京の思案橋(現在の東京都中央区日本橋小網町)周辺で発生した、明治政府に対する旧会津藩士らによる士族反乱未遂事件である。「思案橋の変」とも称される。
事件の背景と計画
1876年10月28日、山口県士族の前原一誠らが主導した萩の乱が勃発した。この情報は電文によって東京にももたらされ、これに呼応する形で旧会津藩士の永岡久茂らが蜂起を計画した。
当初の計画では、千葉県庁を襲撃して県令を殺害した後、佐倉に駐屯していた東京鎮台歩兵第2連隊を説得し、日光を経由して会津若松を襲撃した上で、前原らの動きと連動して挙兵することを目指していた。
事件の経過と結末
1876年10月29日、萩の乱の報を受けた永岡久茂ら旧会津藩士を含む14名は、東京・思案橋から千葉へ向けて船で出航しようとした。しかし、その挙動を不審に思った者からの通報により警官隊が急行し、現場で切り合いとなった。この戦闘により、警察側では寺本義久警部補と河合好直巡査の2名が殉職した。
永岡ら数名はその場で逮捕され、逃走を図った中根米七を除く関係者も最終的に全員が逮捕された。主犯格の永岡久茂は、事件時の負傷がもとで翌年1月に獄中で死亡した。
裁判と関係者の処罰
1877年(明治10年)2月7日に行われた裁判の結果、旧会津藩士である井口慎次郎、中原成業、竹村俊秀の3名に対して斬罪が言い渡された。また、逃走した中根米七は1878年(明治11年)に福島県喜多方町の寺院境内手前で切腹して果てた。
処刑された井口慎次郎ら3名の墓所は、東京都新宿区富久町の市谷源慶寺に現存している。
よくある質問
思案橋事件はいつ発生しましたか?
1876年(明治9年)10月29日に発生しました。
思案橋事件の首謀者は誰ですか?
旧会津藩士の永岡久茂らが中心となって引き起こしました。
事件のきっかけは何ですか?
同年に山口県で発生した前原一誠らによる「萩の乱」に呼応する形で行われました。
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参考文献
- 東京日日新聞『思案橋の暴徒事件』錦絵(早稲田大学図書館蔵)
- 尾佐竹猛『法窓秘聞』批評社、1999年。
- 中村彰彦『明治無頼伝』角川文庫、2002年。
- 綱淵謙錠『苔』中公文庫、1977年。