日本の教育法制
師範教育令の概要と歴史的変遷

明治時代から昭和時代にかけて日本の教員養成制度を規定した「師範教育令」について、その歴史的背景、第1次・第2次の改正内容、および廃止に至るまでの経緯を解説します。
📌 主なポイント
- ✓第1次師範教育令は1897年に公布され、師範学校令に代わるものとして施行された。
- ✓1943年の全部改正により、師範学校は公立から官立(国立)へ移管された。
- ✓1947年の学校教育法施行に伴い、師範教育令は廃止された。
師範教育令(しはんきょういくれい)は、かつて日本において教員養成を目的とする師範学校の設置や運営を規定した勅令です。明治時代に制定された初期の規定から、昭和時代に官立(国立)化を推進した全部改正に至るまで、日本の近代教育制度の根幹を支える役割を果たしました。

第1次師範教育令
1897年(明治30年)10月9日に公布され、翌1898年(明治31年)4月1日に施行されました。これにより、それまでの「師範学校令」が廃止されました。この法令により、尋常師範学校は「師範学校」へと改称され、師範学校、高等師範学校、女子高等師範学校それぞれの目的が明確化されました。
師範学校は小学校教員の養成を目的とし、各府県に設置されました。高等師範学校は師範学校や中学校、高等女学校の教員を、女子高等師範学校は師範学校女子部や高等女学校の教員を養成する機関として位置づけられました。
第2次師範教育令
1943年(昭和18年)3月8日、師範教育令は全部改正(昭和18年勅令第109号)され、同年4月1日に施行されました。この改正の大きな特徴は、公立であった師範学校を官立(国立)へ移管した点です。これにより、師範学校は男子部と女子部を統合した形態となりました。
また、1944年(昭和19年)には青年師範学校に関する条文が追加され、青年学校の教員養成体制も整備されました。これにより、教員養成の国家管理体制がより強固なものとなりました。
廃止
1947年(昭和22年)4月1日、学校教育法の施行に伴い、師範教育令は廃止されました。戦後の教育改革により、教員養成は大学教育へと移行し、師範学校の歴史的役割は終焉を迎えました。
よくある質問
師範教育令の主な目的は何ですか?
小学校や中等学校の教員を養成する師範学校、高等師範学校、女子高等師範学校の設置や運営に関する規定を定めることです。
1943年の全部改正で何が変わりましたか?
師範学校が公立から官立(国立)へ移管され、男子部と女子部が統合されるなどの組織再編が行われました。
師範教育令はいつ廃止されましたか?
1947年(昭和22年)4月1日の学校教育法施行に伴い廃止されました。
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参考文献
- 文部科学省「学制百年史」
- 昭和18年勅令第109号「師範教育令」
- 明治30年勅令第346号「師範教育令」