人物

島村盛助:英文学者・辞書編纂者の生涯と業績

『岩波英和辞典』の編纂で知られる英文学者・翻訳家、島村盛助の生涯と業績を解説。夏目漱石の門下生としての活動や、ミルトン『失楽園』の翻訳など、その足跡を辿ります。

📌 主なポイント

  • 1884年、埼玉県南埼玉郡百間中村(現:宮代町)に生まれる。
  • 第一高等学校および東京帝国大学で夏目漱石の講義を受けた門下生である。
  • 1936年に刊行された『岩波英和辞典』の編纂者の一人である。
  • ジョン・ミルトンの『失楽園』の完訳を遺稿として残した。

島村盛助(しまむら もりすけ、1884年8月9日 - 1952年4月22日)は、日本の英文学者、翻訳家、小説家、辞書編集者、教育者。号は苳三(とうぞう)。『岩波英和辞典』の編纂に携わったことで知られる。

生涯

1884年、埼玉県南埼玉郡百間中村(現:宮代町)の名主の家に生まれる。父の繁は剣術家であり、地域の名士として知られていた。盛助は旧制浦和中学校を経て第一高等学校へ進学し、夏目漱石の講義を受けた。その後、東京帝国大学文科大学へ進み、引き続き漱石の教えを受けながらイギリス文学を研究した。

1909年に大学を卒業後、翻訳や小説の執筆活動を開始。1911年以降は教職に就き、下野中学校や埼玉中学校で教鞭を執った。1920年には旧制山形高等学校の教授として赴任し、同校の校歌作詞も手掛けた。1922年から1923年にかけては文部省の命によりイギリスへ留学した。

1930年秋からは、岩波書店による『岩波英和辞典』の編纂に着手。田中菊雄、土居光知と共に作業を進め、1936年に刊行に至った。また、エドウィン・アーノルドの『亜細亜の光』の翻訳や、トマス・ハクスリーの著作の編訳など、多岐にわたる業績を残した。

第二次世界大戦中、英語が敵国語として扱われる状況下で山形高等学校を退職し、郷里の百間村へ帰郷。戦後は埼玉県立川越中学校や埼玉大学、東京大学で講師を務めた。晩年はジョン・ミルトンの『失楽園』の翻訳に注力し、1951年に完成させた。1952年、67歳で死去。

主な業績

島村の業績は、辞書編纂と翻訳の二点において特に評価される。特に『岩波英和辞典』は、当時の日本における英語学習の普及に大きな役割を果たした。また、長年取り組んだ『失楽園』の完訳は、没後の1982年に教え子たちの尽力によって出版された。

顕彰

郷里である宮代町では、島村の事績を伝える活動が行われている。2002年には宮代町郷土資料館で没後50年記念の特別展が開催され、2005年以降は町を挙げての顕彰活動が続けられている。

よくある質問

島村盛助の代表的な業績は何ですか?
岩波書店から刊行された『岩波英和辞典』の編纂や、エドウィン・アーノルド『亜細亜の光』、ジョン・ミルトン『失楽園』の翻訳が挙げられます。
島村盛助は夏目漱石とどのような関係がありましたか?
第一高等学校および東京帝国大学在学中に、夏目漱石の講義を受けた門下生の一人です。
島村盛助の『失楽園』翻訳はいつ出版されましたか?
本人の没後、教え子たちの尽力により1982年に出版されました。

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参考文献

  • 宮代町郷土資料館「宮代町の偉人・島村盛助」
  • 20世紀人名事典(コトバンク所収)
  • デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収)