日本の歴史

新婦人協会:大正期の女性参政権運動の先駆け

新婦人協会:大正期の女性参政権運動の先駆け
1919年に平塚らいてう、市川房枝らによって結成された日本初の婦人団体「新婦人協会」の歴史、治安警察法改正運動、およびその活動の意義を解説します。

📌 主なポイント

  • 1919年11月24日に設立され、1922年12月8日に解散した。
  • 平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらが中心となって結成された。
  • 治安警察法第5条の改正に成功し、女性の政治演説会への参加を可能にした。

新婦人協会は、1919年(大正8年)11月24日から1922年(大正11年)12月8日まで活動した、日本初の婦人団体です。平塚らいてう、市川房枝、奥むめおらを中心に結成され、女性の社会的・政治的権利の獲得を掲げて活動しました。

新婦人協会の第1回総会
新婦人協会の第1回総会(1920-21年頃)。中央付近に平塚らいてう、奥むめお、市川房枝らが確認できる。

結成の背景と目的

平塚らいてうは、女性の解放には組織的な運動が必要であると考え、友愛会婦人部を離れた市川房枝らと協力して新団体の準備を進めました。1919年11月、大阪での講演会において設立趣意書を発表し、事実上の活動を開始しました。主な目標として、治安警察法第5条の改正と、性病(花柳病)を持つ男性の結婚制限を掲げました。

治安警察法第5条改正運動

当時の治安警察法第5条は、女性の政党加入や政治演説会への参加を禁止していました。新婦人協会はこの条項の撤廃を強く求め、請願運動を展開しました。1922年(大正11年)、坂本真琴や奥むめおらを中心とした粘り強い議会工作が実を結び、同法第5条第2項の改正(女性の政治演説会参加の解禁)を勝ち取りました。これは戦前の日本において、女性が政治的権利の一部を獲得した数少ない事例として歴史的に高く評価されています。

組織の解散と影響

1921年に市川房枝が渡米し、平塚らいてうも運営から退いたことで、協会内の意見対立が表面化しました。1922年12月8日、臨時総会を経て協会は解散しましたが、その活動は後の「婦人参政権獲得期成同盟会」へと引き継がれ、日本の女性参政権運動の礎となりました。

新婦人協会に関する資料
新婦人協会の活動を記録した当時の資料。
当時の女性運動の様子
大正デモクラシー期における女性解放運動の記録。
平塚らいてうの肖像
新婦人協会の創設者の一人である平塚らいてう。

よくある質問

新婦人協会はいつ結成されましたか?
1919年(大正8年)11月24日に平塚らいてうが設立を発表し、事実上の活動を開始しました。
新婦人協会の主な目的は何でしたか?
治安警察法第5条の改正による女性の政治参加権の獲得と、性病を持つ男性の結婚制限の法制化を掲げていました。
治安警察法第5条改正の意義は何ですか?
それまで禁止されていた女性の政治演説会への参加が認められたことで、戦前の日本において女性が政治的権利の一部を獲得した重要な成果となりました。

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参考文献

  • 市川房枝『私の婦人運動』秋元書房、1972年。
  • 児玉勝子『婦人参政権運動小史』ドメス出版、1981年。
  • 金子幸代『鴎外と〈女性〉』大東出版社、1992年。
  • 与謝野晶子「新婦人協会の請願運動」(青空文庫)
  • 坂本真琴「治警第五条修正運動の概略」『女性同盟』1922年。