演劇

日本における新劇運動の歴史と展開

日本における新劇運動の歴史と展開
明治時代末期から現代に至る、日本の演劇運動「新劇」の歴史、主要な劇団、およびその芸術的意義について解説します。

📌 主なポイント

  • 新劇は、商業主義的な歌舞伎や新派に対抗して、芸術性を重視する演劇運動として始まった。
  • 1924年に設立された築地小劇場が、日本の新劇運動の確立において中心的な役割を果たした。
  • 戦後、1945年12月に有楽座で上演された『桜の園』が、新劇の再出発を象徴する公演となった。
  • 1990年代以降、新国立劇場の開場や日本劇団協議会の発足により、現代演劇の制度化が進んだ。

新劇(しんげき)とは、明治時代末期から日本で展開された、商業主義的な歌舞伎や新派とは一線を画す芸術志向の演劇運動、およびその演劇形式を指します。大笹吉雄は、新劇を「非商業的方向の中で、創作劇か翻訳劇かを問わず、劇という芸術形式に対する持続的な革新を目指す」ものと定義しています。

起源と黎明期

新劇の萌芽は、坪内逍遥による文芸協会や、そこから離脱した島村抱月と松井須磨子による芸術座、小山内薫と市川左團次(2代目)による自由劇場の活動に見ることができます。これらの活動は、従来の日本の演劇界における商業主義を批判し、西洋の近代劇を範とした芸術的な演劇の確立を目指すものでした。

当時の築地小劇場
当時の築地小劇場

築地小劇場と運動の確立

1924年、小山内薫と土方与志によって設立された築地小劇場は、新劇運動の拠点として重要な役割を果たしました。同劇場は、翻訳劇を中心に上演し、日本の近代演劇の基礎を築きました。小山内の死後、劇団は分裂し、日本プロレタリア劇場同盟(プロット)などの組織が結成されましたが、1930年代には治安維持法による弾圧を受け、多くの劇団が解散を余儀なくされました。

築地小劇場跡の碑
築地小劇場跡の碑(碑文は里見弴によるもの)

戦後の展開と現代

第二次世界大戦終結後の1945年12月26日、有楽座にて合同公演『桜の園』が上演され、新劇の再出発が象徴されました。その後、劇団民藝(1950年)や俳優座劇場(1954年)などが設立され、文学座や俳優座の系譜を引く多くの劇団が誕生しました。1990年代には、新国立劇場の開場や日本劇団協議会の発足など、現代演劇を支える制度的な枠組みが整備されました。2005年には新国立劇場に演劇研修所が設立され、欧米の俳優教育システムを取り入れた専門的な人材育成が開始されています。

よくある質問

新劇とはどのような演劇ですか?
商業主義的な従来の演劇(歌舞伎や新派)に対し、芸術的な革新を目指した近代演劇運動およびその演劇形式を指します。
新劇運動の重要な拠点はどこですか?
1924年に設立された築地小劇場が、新劇運動の確立における最も重要な拠点とされています。
新劇は現在も続いていますか?
はい。築地小劇場の系譜を引く劇団や、その後の演劇運動から派生した劇団が現在も活動を続けています。

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参考文献

  • 大笹吉雄著『日本新劇全史』白水社、2022年。
  • 村井健編著『<要点>日本演劇史〜古代から1945年まで〜』新国立劇場情報センター、2012年。
  • 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』毎日コミュニケーションズ、1994年。
  • 福田逸「俳優修業 : そして、言葉の力」『明治大学教養論集』第533巻、2018年。