日本の政党・歴史

進歩党 (明治中期)

明治時代中期に結成された政党「進歩党」の歴史、第2次松方内閣との連立、憲政党への合流と分裂までの経緯を解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 結成年月日:1896年(明治29年)3月1日
  • 事実上の党首:大隈重信
  • 解散年月日:1898年(明治31年)6月20日(新党移行のため)
  • 後継政党:憲政党

進歩党(しんぽとう)は、明治時代中期に活動した日本の政党である。1896年(明治29年)3月1日に結成され、1898年(明治30年代)に憲政党への合流を経て解散した。

結成と組織

1896年3月1日、立憲改進党、立憲革新党、大手倶楽部、帝国財政革新会、中国進歩党などが合同し、代議士99名をもって結成された。大隈重信が事実上の党首を務めたものの、形式的には犬養毅、尾崎行雄、大東義徹、柴四朗、長谷場純孝の5名が総務委員として代表者を務めた。「国権拡張」「責任内閣」「財政整理」などを主な政治主張として掲げた。

松隈内閣の成立と提携断絶

1896年9月、松方正義元首相による組閣において連立交渉が行われ、同年9月18日に第2次松方内閣が成立した。大隈重信が外務大臣として入閣したほか、高橋健三内閣書記官長、神鞭知常法制局長官など党幹部が政府に参加した。首相が組閣当初から政党と連立を行う初の事例となり、「松隈内閣」と称された。

しかし、藩閥側との軋轢や、財政難克服を目的とした地租増徴の検討を契機として関係が悪化する。1897年10月31日、進歩党は常議員会において政府との提携断絶を決議した。同年11月には党関係者が罷免され、大隈外相も辞任して政権を離脱した。

憲政党の結成とその後

1898年3月の第5回衆議院議員総選挙を経て、自由党との連携を深めた進歩党は、同年6月22日に自由党と合同して「憲政党」を結成し、一旦その歴史的役割を終えた。

よくある質問

進歩党はいつ結成されましたか?
1896年(明治29年)3月1日に結成されました。
進歩党の事実上の党首は誰ですか?
大隈重信が事実上の党首を務めていました。
進歩党はどのように解消されましたか?
1898年6月に自由党と合同して憲政党を結成したことに伴い、解散しました。

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参考文献

  • 日本大百科全書(ニッポニカ)
  • 升味準之輔『日本政治史 2 藩閥支配、政党政治』東京大学出版会、1988年。