日本の元号

正慶 (日本)

日本の元号の一つである「正慶」についての解説。鎌倉時代末期、持明院統(北朝)方で使用された歴史的背景や改元の経緯を詳述します。

📌 主なポイント

  • 正慶は日本の元号の一つであり、持明院統(北朝)方で使用された。
  • 使用期間は正慶元年/元弘2年(1332年)4月28日から正慶2年/元弘3年(1333年)5月25日までである。
  • 当時の天皇は光厳天皇であり、鎌倉幕府の将軍は守邦親王、執権は北条守時であった。
  • 元号の由来は『易経』益卦の注釈に基づいている。

正慶(しょうけい)は、日本の元号の一つである。鎌倉時代末期、持明院統(後の北朝)方で使用された。元徳の後、元弘の前であり、正慶元年/元弘2年(1332年)4月28日から正慶2年/元弘3年(1333年)5月25日までの期間を指す。

改元の経緯

元徳3年8月9日(1331年9月1日)、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元した。しかし、後醍醐天皇による倒幕計画が発覚すると、鎌倉幕府はこれを認めず「元徳」の継続使用を主張し、同年9月20日(10月22日)には皇太子の即位を要請して光厳天皇が即位した。

翌年、後醍醐天皇が隠岐へ配流された後の元弘2年4月28日(1332年5月23日)、光厳天皇側は「正慶」への代始改元を行った。出典は『易経』益卦の注「以二中正有慶之徳一、有レ攸レ往也、何適而不レ利哉」に基づくものであり、勘申者は菅原公時(唐橋公時)および菅原長員(高辻長員)が務めた。

消滅と影響

正慶2年/元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が還幸し鎌倉幕府が滅亡するに至った。同年5月25日(1333年7月7日)に光厳天皇が退位したことに伴い、正慶の元号は廃止された。その後、後醍醐天皇側によって光厳天皇の即位および「正慶」の元号は無効と宣言され、翌年の元弘4年1月29日(1334年3月5日)に建武へと改元された。

よくある質問

正慶という元号はいつからいつまで使われましたか?
正慶元年/元弘2年(1332年)4月28日から正慶2年/元弘3年(1333年)5月25日までの期間に使用されました。
正慶の元号を使用していたのはどの勢力ですか?
持明院統(後の北朝)方で使用されていました。
正慶の時代に即位していた天皇は誰ですか?
光厳天皇が即位していました。

関連記事

光厳天皇後醍醐天皇持明院統元弘建武

参考文献

1. 「正慶」コトバンク 2. 『日本大百科全書』日本年号一覧「正慶」