日本法制史
職員令(太政官制)の歴史的背景と二官六省体制

明治2年(1869年)に公布された職員令による太政官制の改革、二官六省体制の仕組み、および歴史的背景について解説します。
📌 主なポイント
- ✓職員令は1869年8月15日(明治2年7月8日)に公布された明治政府初期の法令である。
- ✓政体書に基づく官制を改め、二官六省体制を確立した。
- ✓古代の律令官制に倣い、神祇官を太政官の上位に置く復古的な仕組みを採用した。
- ✓太政官の下には民部省、大蔵省、兵部省、刑部省、宮内省、外務省の六省が設置された。
職員令(しょくいんれい / しきいんれい)は、明治政府初期の太政官制を定めた法令であり、1869年8月15日(明治2年7月8日)に公布された。

背景と制定
1868年(明治元年)6月11日に制定された政体書に基づく太政官制は、太政官に権力を集中させる仕組みであった。しかし、その後の行政機構の改編に伴い、1869年7月8日(明治2年7月8日)に職員令が制定されて官制が一新された。
二官六省体制の構造
職員令では、古代の律令官制に倣って神祇官を独立させ、太政官と並立させる復古的な官制が採用された。さらに祭政一致の思想に基づき、神祇官は太政官の上位に位置づけられた。
神祇官と太政官
神祇官の長官である神祇伯には、祭典の催行や陵墓の管理、宣教の督励などの職掌が定められた。一方、太政官は国政の最高機関として天皇を補佐し、左大臣・右大臣、大納言・参議などが置かれた。
六省の設置
太政官の下には以下の六省が置かれ、神祇官と合わせて「二官六省」体制が形成された。
- 民部省
- 大蔵省
- 兵部省
- 刑部省
- 宮内省
- 外務省
効力の終了
職員令に基づく体制は、1871年7月29日(明治4年7月12日)に太政官職制が制定されたことに伴い終了した。
よくある質問
職員令とは何ですか?
明治2年7月8日(1869年8月15日)に公布された、明治政府初期の太政官制を定めた法令です。
二官六省体制とはどのような体制ですか?
神祇官と太政官の二官、および太政官の下に置かれた民部省・大蔵省・兵部省・刑部省・宮内省・外務省の六省からなる統治体制です。
職員令に基づく官制はいつまで続きましたか?
1871年7月29日(明治4年7月12日)に太政官職制が制定されるまで続きました。
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参考文献
国立国会図書館『日本法令索引〔明治前期編〕 ヨミガナ辞書』2007年。
太政官『官制改定職員令ヲ頒ツ』明治2年。
伊藤孝夫『日本近代法史講義』有斐閣、2023年。
浅古弘、伊藤孝夫、上田信廣、神保文夫編『日本法制史』青林書院、2010年。
川口由彦『日本近代法制史 第2版』新世社、2014年。
太政官『官制改定職員令ヲ頒ツ』明治2年。
伊藤孝夫『日本近代法史講義』有斐閣、2023年。
浅古弘、伊藤孝夫、上田信廣、神保文夫編『日本法制史』青林書院、2010年。
川口由彦『日本近代法制史 第2版』新世社、2014年。