日本の歴史
承応(日本の元号)
日本の元号の一つである承応(1652年〜1655年)の歴史、改元の背景、年間の主な出来事について解説する百科事典記事です。
📌 主なポイント
- ✓承応は日本の元号の一つで、1652年から1655年までの期間を指す。
- ✓元号の典拠は『晋書』律暦志の「夏商承運、周氏応期」である。
- ✓承応年間に劇作家の近松門左衛門が誕生した。
承応(しょうおう、旧字体: 承應)は、日本の元号の一つ。慶安の後、明暦の前で、1652年から1655年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇および後西天皇、江戸幕府将軍は徳川家綱である。
改元の背景と経緯
慶安5年9月18日(1652年10月20日)に改元された。後光明天皇が「承応」「文嘉」「享応」などの候補から選び、幕府へ提示した中から「承応」が選ばれた。
改元の理由について、当時の関白・近衛尚嗣の日記によれば、江戸幕府から改元の申し入れがあったものの理由は明示されておらず、尚嗣は不審の念を抱いていたとされる。一方、幕府側の史料である林鵞峰の『改元物語』によれば、徳川家光の逝去と徳川家綱の将軍就任に伴う代始改元を求めたものであり、何らかの事情で朝廷側には本当の理由が示されなかったと推測されている。
典拠
元号の典拠は『晋書』律暦志の記述にある「夏商承運、周氏応期」に由来している。
承応年間の主な出来事
承応年間には、以下のような出来事が記録されている。
- 承応元年(1652年):承応の変が発生。
- 承応3年(1654年):多摩地方に玉川上水が通水し、安曇野にて矢原堰が開削される。また、この年には後光明天皇が崩御している。
出生
- 承応2年(1653年):近松門左衛門(劇作家)が誕生。
- 承応3年(1654年):霊元天皇(第112代天皇)が誕生。
死去
- 承応3年(1654年):後光明天皇(第110代天皇)が崩御。
よくある質問
承応の期間はいつからいつまでですか?
西暦1652年から1655年までの期間です。
承応への改元の理由はどのようなものでしたか?
表面上は理由は明示されませんでしたが、幕府側の史料によれば徳川家光の逝去と徳川家綱の将軍就任に伴う代始改元であったとされています。
承応の元号の典拠は何ですか?
『晋書』律暦志にある「夏商承運、周氏応期」が典拠となっています。
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参考文献
久保貴子『近世の朝廷運営』岩田書院、1998年。