日本の元号
朱鳥 (日本の元号)
日本の飛鳥時代における元号の一つ「朱鳥(しゅちょう)」についての解説。天武天皇の代に定められ、32年ぶりの元号再開や天武天皇崩御に伴う歴史的背景を網羅。
📌 主なポイント
- ✓朱鳥は日本の飛鳥時代における元号で、686年を指す。
- ✓『日本書紀』における本来の和訓は「あかみとり」と記録されている。
- ✓大化・白雉以来、32年ぶりに再開された元号である。
- ✓朱鳥元年9月9日に天武天皇が崩御し、その後701年の大宝まで再び元号が断絶した。
朱鳥(しゅちょう / あかみとり)は、日本の飛鳥時代の元号の一つである。白雉の後、大宝の前間に位置するが、前後の期間ともに元号が断絶していた時期にあたり、大化以降では3番目の元号として数えられる。対象となる年は686年である。
概要と読売について
『日本書紀』巻第二十九の天武天皇下、朱鳥元年7月20日条には「朱鳥此云阿訶美苔利(あかみとり)」と記されており、本来の和訓は「あかみとり」であったとされる。しかし、訓読みが確認される元号は後世に例がないため、一般的には音読みの「しゅちょう」と読まれている。この元号は、飛鳥浄御原の宮号の制定とともに定められた。
改元の背景
日本の元号制度は孝徳天皇の代に始まり、大化および白雉の2つの元号が定められたが、孝徳天皇の崩御以降、斉明天皇の代から長らく断絶していた。天武天皇15年7月20日(ユリウス暦686年8月14日)に朱鳥と定められ、実に32年ぶりとなる元号の再開となった。改元の理由は明記されていないものの、浄御原の宮号の制定とあわせて、当時の天武天皇の病気平癒を祈願したものであったと考えられている。
朱鳥年間の主な出来事
朱鳥元年(686年)は、同年7月20日の改元からわずか数か月の間に重大な歴史的事件が相次いだ。
- 7月20日:朱鳥への改元が行われるとともに、宮号を飛鳥浄御原宮と定める。
- 7月:天皇の病気平癒を祈願し、諸王や諸臣らが観世音像を造り、大官大寺で観世音経の読経が行われる。
- 9月9日:天武天皇が崩御。これに伴い、皇后(後の持統天皇)による称制が開始される。
- 10月2日:大津皇子をはじめ、八口音橿、伊吉博徳、中臣臣麻呂、巨勢多益須、新羅僧行心、礪杵道作ら三十余人が謀反の疑いで逮捕される。
- 10月3日:大津皇子が自害させられ、妃であった山辺皇女が殉死する。
- 10月29日:皇子以外の大半の者が赦免されるが、行心は飛騨国の寺へ移され、礪杵道作は伊豆国へと流罪になる。
- 11月16日:大来皇女が伊勢斎宮を解任され、京へと帰還する。
- 12月19日:天武天皇のための無遮大会(かぎりなきおがみ)が大官大寺、飛鳥寺、川原寺、小墾田豊浦寺、坂田寺の五大寺で執り行われる。
- 閏12月:筑紫大宰が高句麗・百済・新羅の三国より百姓男女僧尼62人を献上する。
同年(末日は閏12月30日、ユリウス暦687年2月17日)に天武天皇が崩御したのち、翌年以降は701年の大宝への改元に至るまで再び元号が途絶えることとなった。
西暦との対照表
| 朱鳥 | 元年 |
|---|---|
| 西暦 | 686年 |
| 干支 | 丙戌 |
よくある質問
朱鳥の読み方は何ですか?
歴史的な記録である『日本書紀』では「あかみとり」と訓読されていましたが、現在では一般的に音読みの「しゅちょう」と呼ばれています。
朱鳥という元号が使われた年はいつですか?
ユリウス暦686年(朱鳥元年)に用いられました。
朱鳥の期間中に亡くなった主な人物は誰ですか?
朱鳥元年9月9日に天武天皇が崩御し、同年10月3日には大津皇子が自害、その妃である山辺皇女が殉死しました。
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参考文献
日本書紀、古事類苑、および各種日本史文献に基づく。