日本の法制史

集会条例(明治13年)

集会条例(明治13年)
明治13年(1880年)に公布された集会条例の歴史的背景、内容、自由民権運動への影響、およびその後の法改正について解説します。

📌 主なポイント

  • 明治13年(1880年)4月5日に太政官布告第12号として公布された。
  • 自由民権運動を抑圧するため、政治的集会や結社の届出制および警察による監視を強化した。
  • 明治15年(1882年)に改正され、演説禁止や支社設置の禁止など規制がさらに強化された。
  • 明治23年(1890年)に集会及政社法が施行されたことに伴い廃止された。

集会条例は、明治13年(1880年)4月5日に太政官布告第12号として公布された日本の法令です。自由民権運動の活発化に伴い、政府が政治的な集会や結社を厳しく規制するために制定されました。新聞紙条例や出版条例と並び、明治政府による言論統制の重要な一翼を担いました。

制定の背景と目的

西南戦争後の日本において、政治的な議論を行う集会や結社が全国的に増加しました。政府は、これら自由民権運動の動きを抑制し、国家の秩序を維持することを目的として本条例を制定しました。制定にあたっては渡辺洪基が起草に関わったとされています。

主な規定内容

本条例は、政治に関する事項を論議する集会や結社に対し、所轄警察署への事前の届出と認可を義務付けました。主な規制内容は以下の通りです。

  • 届出義務:政治的な集会を開く際は、開催の3日前までに日時、場所、演説者名などを届け出て認可を受ける必要がある。
  • 監視と解散権:警察官は集会に立ち会って監視することができ、届出事項と異なる内容や公安を害すると判断される場合には解散を命じることができる。
  • 参加資格の制限:軍人、警察官、教員、学生、および見習生などは、政治的な集会や結社への参加が禁止された。
  • 結社の規制:政治目的の結社についても、社則や社員名簿の届出と認可が必要とされた。
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よくある質問

集会条例はいつ廃止されましたか?
明治23年(1890年)7月25日に「集会及政社法」が公布・施行されたことに伴い、集会条例は消滅しました。
集会条例はどのような運動を対象としていましたか?
主に当時活発化していた自由民権運動を対象としており、政治的な演説や結社活動を厳しく制限しました。
学生は集会に参加できましたか?
いいえ、本条例により学生や教員は政治的な集会への参加が禁止されていました。これに対し、明治法律学校の学生のように、集会参加時に一時退学届を出すといった対抗策をとる例も見られました。

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参考文献

明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史』 第三巻 通史編Ⅰ、学校法人明治大学、1992年。