主観の哲学的概念と歴史的展開
📌 主なポイント
- ✓主観(Subjekt)は、認識機能の担い手や行為の主体を意味する哲学概念である。
- ✓語源となったラテン語の subiectum は、古代ギリシア語の「ヒュポケイメノン(基体)」に由来する。
- ✓近代以前の subiectum は主に「基体」や「主語」を意味しており、現代のような認識論的意味合いは含まれていなかった。
- ✓カントは subiectum を「超越論的主観」として位置付け、認識論における主観と客観の関係を論じた。
主観(しゅかん、英: subject、仏: sujet、独: Subjekt)は、「客観」(独: Objekt)と対になる概念であり、認識(知覚や思考)機能の担い手を意味する。また、実践の領域においては行為の主体を指す言葉として用いられる。哲学用語としての「主観」および「客観」は、明治期に西周によって作成された訳語である。
語源と歴史的背景
ドイツ語の Subjekt や英語の subject は、ラテン語の subiectum に由来し、さらにそれは古代ギリシア語の hypokeimenon(ヒュポケイメノン:基体)を直訳したものである。これは「下に置かれているもの・こと」を意味し、ある議論や理論において何かを規定する際の前提とされているものを指していた。この用語はアリストテレスの哲学においても用いられたが、古代から中世、そして近代初頭に至るまで、subiectum と objectum は現代のような対立概念としては扱われていなかった。
近代における意味の変化
hypokeimenon および subiectum は、長らく「基体」や「主語」という意味で使われていた。しかし、近代に入ると、トマス・ホッブズの「感覚の基体」やゴットフリート・ライプニッツの「基体あるいは魂そのもの」という表現に見られるように、 subiectum に「心の内なる基体」「心の内なる実体」としてのニュアンスが付与されるようになっていった。さらに、ジョン・ロックやジョージ・バークリーらの認識論によって、存在の問題を認識の問題として解釈する潮流が生まれた。
カント哲学とドイツ観念論における展開
イマヌエル・カントは、subiectum を認識機能の「主観」と位置付けた。主観自体は世界を超越しながらも世界の存在を基礎づけるという意味で「超越論的」なものとして捉えられ、認識される限りの客観(現象)との関係性(主観—客観関係)が論じられるようになった。ただし、カントの理論では、認識主観と客観の背後に人間が知り得ない「物自体」が残されるという二元論が内包されていた。
ヨハン・ゴットリーブ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリング、ゲオルク・ヴィーヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルらのドイツ観念論者たちは、カントの理論を引き継ぎ、認識と実践を主観による根本的な活動形態として把捉することによって、この二元性を一元化し「物自体」を消し去る試みをおこなった。