染付の技法と歴史:藍青色に彩られた陶磁器の世界

📌 主なポイント
- ✓染付は、白色の素地に酸化コバルトを主とした絵の具で模様を描き、透明釉をかけて高温焼成した陶磁器である。
- ✓絵の具の材料は日本では「呉須」と呼ばれ、中国では時代によって西南アジアからの輸入品や国内産の土青などが用いられた。
- ✓唐時代後期の沈没船や河南省の窯から9世紀頃の染付陶片が発見されており、元時代の景徳鎮窯で盛行した。
染付(そめつけ)とは、白色の胎土で成形した素地の上に酸化コバルトを主とした絵の具で模様を絵付し、その上に透明釉をかけて高温焼成した陶磁器である。おもに磁器を指し、焼成によって模様は鮮やかな藍青色に発色する。
中国語では「青花瓷」や「釉裏青」という漢字表記で知られており、透明釉の下に発色層が位置する釉下彩技法の一種に分類される。

技法と絵の具の変遷
染付の絵の具の材料は、日本では「呉須」と呼ばれ、江戸時代には「茶碗薬」とも称された。コバルトを含むこの材料は時代や地域によって異なり、中国の元末から明初にかけては、西南アジアから輸入された「スマルト」「蘇麻離青」「蘇勃泥青」と呼ばれる濃い藍のガラス質原料が使用された。その後も外国からの輸入材料は「回青」と呼ばれ重宝されたほか、中国国内で産出する「土青」や「石青」なども用いられるようになった。近代以降は、ドイツ産をはじめとする人造コバルトも多く活用されている。
成形から焼成までの工程には地域や時代による違いがある。日本では、磁土を一度素焼きしてから呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて再度焼成する手法が一般的である。一方、中国では素焼きをしていない素地に直接絵付を行い、透明釉を掛けて一度で焼成する生掛けが原則とされてきた。ただし、極端に薄い磁器では素焼きが行われる場合もあり、日本の初期伊万里などでも生掛けの例がみられる。

歴史と展開
染付の起源に関する考古学的資料としては、唐時代後期(9世紀頃)のものとされるインドネシアの沈没船から発見された小皿や、中国・河南省の窯から出土した陶片などが知られている。その後、元時代の景徳鎮窯において本格的に盛行し、15世紀以降には李氏朝鮮やベトナムなどの周辺地域へと広く伝わっていった。

日本においては、17世紀に入ってから伊万里焼などで本格的な生産が開始された。また、アジア圏にとどまらず、オランダのデルフト焼においては釉下彩を用いた染付軟質陶器が作られ、デンマークのロイヤルコペンハーゲンなどヨーロッパ各地の窯においても染付磁器の伝統が継承されている。