日本の歴史
賞典禄:明治維新の功労者に対する恩賞制度の歴史と仕組み
明治維新における公卿、大名、士族への恩賞制度である「賞典禄」の歴史的背景、種類、支給の実態、そして秩禄処分による廃止までを解説します。
📌 主なポイント
- ✓賞典禄は、明治維新における戊辰戦争などの功労者に対して支給された恩賞である。
- ✓支給期間により永世禄、終身禄、年限禄の3種類に分類された。
- ✓総支給額は約90万1620石に達し、財政悪化の一因となったため1876年の秩禄処分により廃止された。
賞典禄(しょうてんろく)とは、明治維新期の戊辰戦争から箱館戦争にかけて、新政府の勝利に貢献した公卿、大名、士族および兵隊に対して、政府が家禄とは別に賞与として支給した禄である。
歴史的背景と支給の経緯
戊辰戦争における官軍の勝利は、当初からの政府構成員だけでなく、日和見的な態度から最終的に官軍へ参加した諸藩の協力もあって成し遂げられたものであった。そのため、官軍に参加した諸藩の間では、旧幕府や佐幕派諸藩から没収した所領の再配分を求める強い要望が存在した。
大久保利通や木戸孝允らは土地による恩賞の再配分に反対の立場をとったが、諸藩からの強い要請を背景として、1869年(明治2年)6月に政府は賞典禄の支給を決定した。
賞典禄の種類
賞典禄は、その支給期間および性質に応じて以下の3種類に分類された。
- 永世禄:無期限に給付され、子孫への世襲が認められたもの。
- 終身禄:受給者本人の一代限りで支給されたもの。
- 年限禄:あらかじめ期限が定められて支給されたもの。
支給の実態と財源
原則として、一時金として支給された賞典金を除き、1石あたり現米2斗5升が支給された。財源には戊辰戦争で敗北した諸藩から没収した所領が充てられた。
支給の総額は、永世禄が80万9070石、終身禄が7050石、年限禄が8万5500石であり、合計で90万1620石に達した。これは大藩1つ分の石高に相当する大きな負担となり、当時の国家財政を圧迫する要因の一つとなった。
金禄公債への移行と廃止
賞典禄は家禄とともに財政悪化の一因とみなされ、明治政府が進める近代化政策および財政整理の一環として秩禄処分の対象となった。1876年に金禄公債の支給と引き換えに廃止され、永世禄を含めても存続期間はわずか7年間であった。
よくある質問
賞典禄とは何ですか?
明治維新の功労者である公卿、大名、士族に対して政府が家禄のほかに与えた賞与の禄です。
賞典禄にはどのような種類がありましたか?
世襲が認められた「永世禄」、本人一代限りの「終身禄」、期限付きの「年限禄」の3種類が存在しました。
賞典禄はなぜ廃止されたのですか?
支給総額が約90万石に及び国家財政を圧迫したため、秩禄処分の一環として1876年に金禄公債へ移行する形で廃止されました。
関連記事
秩禄処分家禄金禄公債戊辰戦争明治維新
参考文献
日本大百科全書(ニッポニカ) 世界大百科事典 第2版『賞典禄』コトバンク。落合弘樹『秩禄処分 明治維新と武士のリストラ』中央公論新社、1999年。石川健次郎「明治前期における華族の銀行投資」『大阪大学経済学』第22号、1972年。新田完三『内閣文庫蔵諸侯年表』東京堂出版、1984年。浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年。