出納 (蔵人所)
📌 主なポイント
- ✓出納は平安時代の蔵人所の職員であり、財物の出納や文書の起草などの庶務を掌った。
- ✓平安時代中期以降は地下人が任じられる地位となり、中世後期には平田家による世襲が確立した。
- ✓江戸時代には蔵人方地下人を統率する「催官人」の一角として、図書寮や内蔵寮などの約60家を管轄した。
- ✓局務押小路家・官務壬生家とともに「三催」体制を構成したが、待遇面では両家よりも格下とされた。
出納(すいとう)は、日本の律令制下における令外官である蔵人所の職員(職事)の1つ。蔵人所の財物の出納をはじめ、一切の庶務を掌った役職である。
平安時代の職務と変遷
平安時代における出納は定員3名であり、蔵人所における出納業務を行うほか、蔵人所が発出する牒・下文・返抄などの文書を蔵人に代わって起草・作成し、蔵人とともに連署する役割を担った。そのため、高度な学識と事務能力が必要とされ、明法道出身者や官司の事務官出身者が任じられることが多かった。また、要人からの推挙も多く、宇多天皇が退位後に自己の在位中の出納を後院の主典代に任じて事務にあたらせるなど、天皇とも密接なつながりがあった。
しかし、堀河天皇の頃から蔵人に代わって出納が実務を取り仕切るようになり、これが「僭上」とみなされて掣肘が加えられるようになった。以降は雑掌的な業務に限定され、地下人が任じられる地位へと変化していった。平安時代末期以後は中原氏出身者が多く任命されるようになり、中世後期に入ると平田家による世襲が確立し、明治維新に至るまで継承された。
中世から近世における役割
いったんは職務の多くを縮小された出納であったが、朝廷機構の衰微に伴い、再び蔵人所の職務を広く担うようになった。『禁秘抄』には「蔵人方一切奉行」と記されており、蔵人所の運営実務において大きな役割を果たしていたことが確認されている。
江戸時代初期、朝廷秩序の回復と儀式の再興を図る江戸幕府と朝廷の思惑が一致し、地下官人制度の再編が行われた。その結果、局務押小路家が外記方、官務壬生家が官方、そして出納平田家が蔵人方の地下官人を統率することとなった。「禁中諸政諸司等作法事」などの取り決めにより、出納平田家は図書寮や主水司、内蔵寮など約60家の地下官人を管轄下におき、奉行や職事の指示に従って儀式に必要な事務・雑務を率いた。この時期、平田家の知行高は31石余りに引き上げられ、地下家第3位の地位に上昇した。
近世朝廷における位置づけ
江戸時代を通じて、局務・官務・出納はそれぞれの管轄下の地下官人を統率する「催官人」としての地位を世襲した。待遇面において、出納平田家は「両局」と称された局務押小路家・官務壬生家よりも格下の扱いとされ、明治維新に際して両家が男爵に叙せられたのに対し、平田家は士族として扱われた。しかし、実務面における権限はほぼ同等であり、近世朝廷研究においては、この時期の地下官人はこれら3家によって統率された「三催」体制であったと評価されている。
よくある質問
出納とはどのような役職ですか?
出納はどの家系によって世襲されましたか?
江戸時代の出納はどのような役割を果たしましたか?
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参考文献
- 藤木邦彦「出納」『国史大辞典 8』(吉川弘文館、1987年)ISBN 978-4-642-00508-1
- 玉井力「平田家」『日本史大事典 5』(平凡社、1993年)ISBN 978-4-582-13105-5
- 西村慎太郎『近世朝廷社会と地下官人』第一部「近世地下官人の組織と制度」(吉川弘文館、2008年)ISBN 978-4-642-03433-3