日本の野球選手

鈴木鶴雄

鈴木鶴雄は、1930年代後半の日本プロ野球で活躍した投手。名古屋金鯱軍に所属し、主戦投手としてプレーした経歴を持つ。

📌 主なポイント

  • 1915年和歌山県生まれ。
  • 1937年から1939年まで名古屋金鯱軍に所属した。
  • 1937年秋季シーズンに防御率2.43を記録し、東西対抗戦のメンバーに選出された。
  • 引退後は大同製鋼野球部で都市対抗野球準優勝に貢献し、のちに母校・関西大学の監督を務めた。

鈴木鶴雄(すずき つるお、1915年4月1日 - 没年不明)は、和歌山県出身の元プロ野球選手。旧姓は田上。1930年代後半の日本職業野球連盟において、名古屋金鯱軍の投手として活動した。

経歴

耐久中学校を経て関西大学に進学。当時の関西大学野球部は、関西六大学リーグの強豪として知られ、鈴木も北井正雄や西村幸生らと共にチームの黄金期を支えた。大学卒業後は台湾総督府に就職し、台南州嘉義に赴任。現地チームでのプレーを経て、1937年に名古屋金鯱軍へ入団した。

金鯱軍では重い速球を武器とする主戦投手として起用された。1937年秋季シーズンには9勝7敗、防御率2.43の成績を残し、第1回東西野球対抗大会の西軍メンバーにも選出されている。1938年春季シーズンには開幕投手を務めたが、入団以前からの肩の故障が悪化。その後、応召による離脱と復帰を経て、1939年シーズン終了後に現役を引退した。

プロ野球引退後は大同製鋼の野球部に所属し、1942年の都市対抗野球大会ではエースとしてチームの準優勝に貢献した。戦後には母校である関西大学野球部の監督も務めた。

選手としての特徴

投球スタイルは低めに重い速球を投げ込むものであった。また、捕手からの返球を受けると同時に振りかぶるほど、投球間隔が極めて短い投手であったと伝えられている。

年度別投手成績

年度球団登板勝利敗戦防御率
1937春金鯱20473.65
1937秋金鯱23972.43
1938春金鯱13165.53
1939金鯱11234.62

よくある質問

鈴木鶴雄の主なポジションは何ですか?
プロ野球選手としては主に投手として活動しましたが、一塁手や外野手としても出場記録があります。
プロ野球での所属球団はどこですか?
1937年から1939年まで名古屋金鯱軍に所属していました。
引退後の活動はどのようなものですか?
大同製鋼野球部でプレーし、都市対抗野球での準優勝に貢献しました。その後、関西大学野球部の監督を務めました。

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参考文献

プロ野球人名事典 2003(日外アソシエーツ)、日本野球機構(NPB)個人年度別成績、関西大学野球部歴史資料