日本の歴史

日本近代史における大逆事件と大逆罪の全貌

日本近代史における大逆事件と大逆罪の全貌
明治・大正期に天皇や皇室への危害を企てたとして大逆罪が適用された諸事件の歴史的背景と概要を解説する百科事典記事です。

📌 主なポイント

  • 大逆罪は天皇や皇后などの皇室一族に対する危害やその企てを処罰する規定であり、法定刑は死刑のみであった。
  • 大逆罪が適用された裁判は、大審院が第一審にして終結審を担当した。
  • 歴史上、「大逆事件」という総称で呼ばれるものには、幸徳事件、虎ノ門事件、朴烈事件、桜田門事件の四件が知られている。

大逆事件(たいぎゃくじけん)とは、かつて日本に存在した刑法上の罪である「大逆罪」が適用され、訴追された一連の事件の総称である。旧刑法(明治15年施行)および現行刑法(明治41年施行、昭和22年削除)では、天皇、皇后、皇太子、皇太孫、皇太后、太皇太后に対して危害を加え、または加えようとした行為に大逆罪が適用され、法定刑には死刑のみが定められていた。

大逆罪と裁判管轄

大逆罪を含む皇室に対する罪や内乱罪については、当時の最高裁判所に相当する大審院が第一審にして終結審(一審制)を担当する特別の訴訟手続きが採られていた。歴史上、大逆罪の適用および訴追が行われた事例としては主に4つの事件が知られている。

主要な四事件

大逆事件として数えられる代表的な事件には以下の四つがある。単に「大逆事件」と称する場合は、1910年の幸徳事件を指すことが一般的である。

  • 幸徳事件(1910年・1911年):信州の社会主義者らによる明治天皇暗殺計画(信州明科爆裂弾事件)を端緒として、政府や検察当局が社会主義者や無政府主義者の弾圧を図ったとされる事件。幸徳秋水ら26人が起訴され、多数の死刑判決が出された。
  • 虎ノ門事件(1923年):帝国議会の開院式に向かう皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)に対して、難波大助が銃撃を行った暗殺未遂事件。
  • 朴烈事件(1925年):関東大震災後の混乱期に検挙されたアナキストの朴烈および金子文子に対し、爆発物取締罰則違反に加えて大逆罪が適用された事件。
  • 桜田門事件(1932年):陸軍始観兵式を終えた昭和天皇の馬車に向けて、朝鮮独立運動活動家の李奉昌が手榴弾を投げつけた事件。

歴史的影響と社会的背景

一連の大逆事件、特に1910年の幸徳事件は、日本の社会主義運動や文学界、政治思想に多大な影響を与えた。社会主義運動は指導者層を失い、長期間にわたる停滞期(いわゆる冬の時代)を迎えた。また、裁判の過程や法廷での発言などを契機に南北朝正閏論が再燃するなど、国家体制や歴史認識を巡る議論にも大きな波紋を広げた。

よくある質問

大逆事件とは何を指しますか?
旧刑法および現行刑法に規定されていた「大逆罪」が適用され、訴追された一連の事件の総称です。一般的には1910年の幸徳事件を指すことが多いです。
大逆罪にはどのような刑罰が定められていましたか?
旧刑法および現行刑法において、大逆罪の法定刑には死刑のみが定められていました。
大逆事件として知られる主な事件は何ですか?
幸徳事件、虎ノ門事件、朴烈事件、桜田門事件の四つの事件がよく知られています。

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幸徳秋水大審院明治時代昭和天皇

参考文献

佐木隆三『小説 大逆事件』文藝春秋〈文春文庫〉、2001年1月。 荻野富士夫『思想検事』岩波新書、2000年。