日本の歴史

大正時代の憲政擁護運動と政治的変遷

大正時代の憲政擁護運動と政治的変遷
大正時代に発生した第一次・第二次護憲運動の背景、経緯、政党政治への影響について解説する歴史記事。

📌 主なポイント

  • 護憲運動は大正時代に発生した、立憲政治や政党政治を擁護するための政治運動である。
  • 第一次護憲運動は、軍部大臣現役武官制を背景とした第3次桂内閣の成立に対抗して起こった。
  • 第二次護憲運動では護憲三派が第15回衆議院議員総選挙で圧勝し、加藤高明内閣の成立につながった。

護憲運動(ごけんうんどう)とは、大正時代に発生した立憲政治を擁護する政治運動である。一般には憲政擁護運動とも呼ばれ、藩閥政治や軍部優位の政治体制に対抗し、議会中心の政治や政党内閣の確立を目指して展開された。

第一次護憲運動の背景と展開

大正元年(1912年)12月、第2次西園寺公望内閣において陸軍大臣の上原勇作が陸軍の2個師団増設を要求した。しかし、行財政整理を掲げてこれを拒否した西園寺内閣に対し、上原は単独で陸相を辞任した。当時の軍部大臣現役武官制の規定により後任の陸相が得られず、内閣は総辞職に追い込まれた。

その後、元老の意を受けた桂太郎が第3次桂内閣を組閣した。これを藩閥政治の復活とみなした立憲政友会の尾崎行雄や立憲国民党の犬養毅らは「閥族打破・憲政擁護」を掲げ、第一次護憲運動を起こした。

犬養毅の肖像写真
犬養毅

大正2年(1913年)2月、議会で桂内閣に対する不信任案が提出されると、桂は議会停止命令をもって対抗した。これに反発した民衆や憲政擁護派が国会議事堂周辺に押し寄せ、政府支持の新聞社や警察署が襲撃される暴動に発展した。結果として桂内閣は総辞職を余儀なくされた。

尾崎行雄の肖像写真
尾崎行雄

第二次護憲運動と政党内閣の復活

第一次護憲運動以降、本格的な政党内閣期を経て、1923年の虎ノ門事件に伴う第2次山本内閣の総辞職後、清浦奎吾が貴族院を中心とした中間内閣を組織した。これに対し、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部のいわゆる「護憲三派」が結党され、第二次護憲運動が展開された。

加藤高明の肖像写真
加藤高明

1924年5月の第15回衆議院議員総選挙において護憲三派が圧勝し、同年6月に憲政会の加藤高明を首班とする護憲三派内閣が成立した。これにより、政党内閣制が再び軌道に乗ることとなった。

よくある質問

第一次護憲運動の主なスローガンは何ですか?
「閥族打破・憲政擁護」をスローガンとして掲げられました。
第二次護憲運動を結成した主要な三派は何と呼ばれましたか?
憲政会、立憲政友会、革新倶楽部の三派は「護憲三派」と呼ばれました。

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参考文献

  • 升味準之輔『日本政治史 3 政党の凋落、総力戦体制』東京大学出版会、1988年。
  • 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』河出書房新社、2003年。