日本の廃止市町村
大正村 (神奈川県鎌倉郡)
1915年から1939年まで神奈川県鎌倉郡に存在した大正村の歴史、沿革、および現在の横浜市戸塚区における地域的背景について解説します。
📌 主なポイント
- ✓1915年8月1日に神奈川県鎌倉郡で発足した。
- ✓1939年4月1日に横浜市へ編入され、廃止された。
- ✓現在の横浜市戸塚区南部に位置していた。
- ✓1935年時点の総人口は3,432人であった。
大正村(たいしょうむら)は、かつて神奈川県鎌倉郡に存在した村である。1915年(大正4年)8月1日に発足し、1939年(昭和14年)4月1日に横浜市へ編入されるまで存続した。現在の神奈川県横浜市戸塚区の南部に相当する地域である。
歴史
大正村は、1915年(大正4年)8月1日に俣野村、富士見村の合併、および長尾村大字小雀の編入によって新設された。これら三村は、合併以前から共同で「三村組合役場」を原宿に設置しており、行政的な結びつきが強かった。なお、長尾村については、小雀地区が畑作地帯であるのに対し、他の地区が水田地帯であるといった産業・地勢上の相違があったため、分村という形で大正村への編入が行われた経緯がある。
その後、1939年(昭和14年)4月1日に横浜市へ編入され、大正村は廃止された。編入後は、同日に新設された横浜市戸塚区の一部となった。この際、旧大正村内の地名整理が行われ、上俣野は「俣野町」へ、山谷と城廻は統合されて「影取町」へと改称された。
交通
村内には東海道(現在の国道1号)が通っており、古くから交通の要所としての性格を有していた。
現在の町名
旧大正村の区域は、現在の横浜市戸塚区の町名に引き継がれている。住居表示が実施されている地区には「汲沢」「原宿」があり、未実施地区には「原宿町」「深谷町」「汲沢町」「俣野町」「東俣野町」「影取町」「小雀町」が含まれる。
よくある質問
大正村はいつまで存在しましたか?
1939年(昭和14年)4月1日まで存在しました。
大正村はどこに編入されましたか?
横浜市に編入され、同市戸塚区の一部となりました。
大正村はどのようにして成立しましたか?
俣野村、富士見村の合併と、長尾村大字小雀の編入によって1915年に新設されました。
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参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。