日本の政治家

高橋是清:近代日本の財政を支えた大蔵大臣・総理大臣

高橋是清:近代日本の財政を支えた大蔵大臣・総理大臣
日露戦争時の外債募集や昭和恐慌からの経済立て直しで知られる高橋是清の生涯、政治家としての業績、および財政政策について解説する百科事典記事です。

📌 主なポイント

  • 1854年、江戸の幕府御用絵師の子として生まれ、仙台藩士の高橋家の養子となった。
  • 日露戦争時には日本銀行副総裁としてロンドンなどで戦時外債の募集を成功させ、戦費調達に貢献した。
  • 1921年から1922年にかけて第20代内閣総理大臣を務めた。
  • 昭和初期の蔵相として金輸出再禁止や積極財政を行い、日本をデフレから脱出させたが、軍事費抑制を図ったことで二・二六事件にて暗殺された。

高橋 是清(たかはし これきよ、旧字体: 高橋 是淸、1854年9月19日〈嘉永7年/安政元年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の政治家、財政家。第7代日本銀行総裁、立憲政友会第4代総裁、第20代内閣総理大臣を歴任した。

日露戦争における戦費調達のための外債募集を成功させたことで近代日本を代表する財政家として知られ、首相としての在任期間よりも大蔵大臣としての手腕が高く評価されている。愛称は「ダルマさん」。最終的には軍事予算の抑制を図ったことが軍部の反発を買い、二・二六事件において暗殺された。

生涯

生い立ちと若年期

1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)、幕府御用絵師である川村庄右衛門ときんの子として生まれた。生まれて間もなく仙台藩の足軽・高橋覚治の家に里子に出され、のちにその養子となった。藩命により横浜のヘボン塾で学び、1867年(慶応3年)に海外へ留学した。

しかし、渡航を仲介したアメリカ人の貿易商ユージン・ヴァン・リードに学費や渡航費を着服され、年季奉公の契約によってアメリカ・オークランドの家庭に送られることになった。現地では過酷な労働を強いられたが、この苦労を通じて英語の読み書きと会話能力を習得し、1868年(明治元年)に帰国した。

官僚から実業家、そして日本銀行へ

帰国後、森有礼の勧めで文部省に入省し、英語教師などを務めた。その後、共立学校(現在の開成中学校・高等学校)の初代校長を務め、農商務省の官僚としても活動した。1884年(明治17年)には特許局の初代局長に就任し、日本の特許制度の基礎を整えた。

1889年(明治22年)には官僚を辞してペルーでの銀鉱事業に投資したが、詐欺的な被害に遭い失敗した。帰国後に自宅を売却して借金を返済した後、日本銀行に入行した。

日露戦争と外債募集

日露戦争が発生した際、日本銀行副総裁であった高橋は戦費調達のために同盟国のイギリスへ赴いた。当時、日本の軍事的な勝算に対する懸念や中立国による公債引き受けへの懸念があったが、高橋は日本の自衛戦争としての正当性や過去の外債・内国債における一度も利払いを遅延したことがない実績を挙げ、交渉を成功させた。これにより香港上海銀行やジェイコブ・シフなどの人脈を通じて外債の募集に成功し、戦争遂行のための資金を確保した。

内閣総理大臣および閣僚としての活動

1911年(明治44年)に第7代日本銀行総裁に就任。その後、第1次山本内閣や原内閣で大蔵大臣を務めた。1921年(大正10年)11月、原敬が暗殺された直後にその手腕を買われて第20代内閣総理大臣に就任し、立憲政友会総裁も引き継いだ。しかし、党内の混乱を収拾しきれず、内閣は半年で総辞職した。

その後も加藤高明内閣などで農商務大臣などを務め、1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌の際には田中義一内閣の蔵相としてモラトリアム(支払猶予)の実施や紙幣の大量発行による信用不安の鎮静化に努めた。

昭和初期の経済政策と最期

1931年(昭和6年)に犬養毅内閣の蔵相に就任し、金輸出の再禁止や国債の日銀引き受けによる積極財政を展開した。これにより世界恐慌の影響を受けていた日本経済をデフレから早期に脱出させたが、軍事費の拡大要求に対して厳格な抑制姿勢を示した。

軍事予算の拡張を抑えようとした高橋の財政方針は軍部の強い反発を招き、1936年(昭和11年)2月26日の二・二六事件において、東京市赤坂区の自宅で反乱軍の青年将校らに襲撃され暗殺された。享年81。

よくある質問

高橋是清の主な功績は何ですか?
日露戦争時の外債募集の成功や、昭和恐慌期における金輸出再禁止および積極財政による経済の早期デフレ脱出が最大の功績として挙げられます。
高橋是清はどのようにして亡くなりましたか?
1936年2月26日に発生した二・二六事件において、軍事予算の抑制に反対する軍部や青年将校らによって赤坂の自宅で暗殺されました。
高橋是清は総理大臣をいつ務めましたか?
原敬の暗殺を受けた後、1921年11月13日から1922年6月12日まで第20代内閣総理大臣を務めました。

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参考文献

  • 国立公文書館「特許局長兼東京農林学校長高橋是清臨時叙勲ノ件」明治22年10月25日
  • 大谷健『大蔵大臣の昭和史』ビジネス社、1986年。
  • 『昭和の怪物 七つの謎』講談社、2018年。