日本の歴史・藩

高松藩の歴史と藩政に関する概説

高松藩の歴史と藩政に関する概説
江戸時代に讃岐国を治めた高松藩の歴史、生駒家および松平家の統治、産業開発や幕末の動向について解説する百科事典記事。

📌 主なポイント

  • 高松藩は1587年に生駒親正が讃岐一国を与えられたことから始まった。
  • 1642年に水戸藩主・徳川頼房の長男である松平頼重が12万石で入封し、高松松平家による統治が始まった。
  • 藩政においては香東川の改修や塩田・新田開発、和三盆糖の製造などの産業振興が行われた。

高松藩(たかまつはん)は、江戸時代に讃岐国(現在の香川県)を領有した藩である。江戸時代前期には讃岐一国を統治したが、中期以降は半国の東讃地域を領有した。藩庁は高松城に置かれた。

藩史の変遷

豊臣秀吉による四国平定後の1587年(天正15年)、生駒親正が讃岐一国を与えられたことに始まる。その後、第4代藩主・生駒高俊の代である1640年(寛永17年)にお家騒動(生駒騒動)が発生して改易された。讃岐国は一時分割統治されたのち、1642年(寛永19年)に常陸国下館藩より水戸藩主・徳川頼房の長男である松平頼重が12万石で入封し、高松藩が成立した。

高松城月見櫓
高松城月見櫓

藩政と産業開発

高松松平家は水戸徳川家の分家でありながら、江戸城において将軍の政治顧問を務めるなど高い家格を有していた。藩主たちは水利の悪い讃岐国の環境を改善するため、高松城下に上水道を整備し、香東川の流路変更や溜池の建設を行った。また、海岸線の埋め立てによる新田開発や塩田開発を進めた。

第5代藩主・松平頼恭の時代には栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園が作られ、砂糖の研究が奨励された。これが後に「讃岐三白」の一つである和三盆糖の製造技術確立につながった。さらに、9代藩主・頼恕は久米通賢を登用して大規模な塩田を開発するなど、経済基盤の強化が図られた。

幕末の動向と明治維新

幕末期、高松藩は佐幕派として行動し、鳥羽・伏見の戦いの結果として朝敵となったが、のちに恭順の姿勢を示して無血開城し、新政府への軍資金献上によって宥免された。しかし藩内では尊王派と保守派の間で対立が生じ、明治初年には政治的混乱や処分が相次いだ。1871年(明治4年)の廃藩置県を経て高松県となり、その後の統廃合を経て1888年に現在の香川県が成立した。

よくある質問

高松藩の初代藩主は誰ですか?
生駒家の代では生駒親正が最初の領主であり、松平家の代では水戸徳川家の分家である松平頼重が初代藩主となります。
高松藩の藩庁はどこにありましたか?
現在の香川県高松市にある高松城に置かれていました。
高松藩の名勝として知られる公園は何ですか?
歴代藩主によって整備された「栗林公園」が広く知られています。

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参考文献

児玉幸多・北島正元監修『藩史総覧』新人物往来社、1977年。
木原溥幸『近世讃岐の藩財政と国産統制』溪水社、2009年。