日本の城
多気城 (茨城県)

茨城県つくば市北条の多気山に築かれた山城、多気城の歴史と遺構について解説。平安時代の平維幹による築城説や、戦国時代の軍事拠点としての変遷を辿ります。
📌 主なポイント
- ✓茨城県つくば市北条の多気山に位置する山城である。
- ✓平安時代に平維幹が築城したという伝承がある。
- ✓戦国時代には軍事拠点として利用された形跡が文献に残されている。
多気城(たきじょう)は、現在の茨城県つくば市北条(旧常陸国筑波郡多気)に位置した日本の城郭です。多気山(標高約129.4m)の山頂から中腹にかけて築かれた山城であり、別名として「多気山城」や「城山城」とも呼ばれます。


城郭の構造
多気城は、山頂から中腹にかけて連なるIからIIIの曲輪と、少し離れた位置にあるIV曲輪で構成されています。これらは堀や土塁によって区画されており、南側には土橋の跡も確認されています。山頂付近の遺構は比較的良好な状態で残されており、当地方の戦国史を解明する上で重要な資料とされています。
歴史的背景
平安時代中期、常陸平氏の宗家である大掾氏の平維幹が、筑波郡水守から多気の地へ移り築城したという伝承があります。『吾妻鏡』に記される「多気の山城」は、この維幹によるものと推測されています。維幹の子孫は多気氏を名乗りこの地で勢力を誇りましたが、1193年(建久4年)の建久の変により没落しました。
戦国時代における多気城の動向については、1559年(永禄2年)の結城氏による北条攻めや、1579年(天正7年)の「嶽山再興」の記録など、断片的な文献史料が残されています。築城の目的については、小泉館の詰めの城としての機能や、上杉謙信・佐竹氏による軍事拠点化など複数の説が唱えられています。


周辺環境
城跡周辺の北条・平沢地区には、平沢官衙遺跡をはじめとする古代の遺跡が集中しており、古くから地域の中枢であったことがうかがえます。多気義幹の墓と伝わる五輪塔や、多気氏が整備したとされる裏堀など、中世の歴史を物語る遺構が現在も残されています。
よくある質問
多気城は誰が築いたとされていますか?
平安時代中期に常陸平氏の宗家である平維幹が築いたという説が一般的です。
多気城の別名はありますか?
多気山城や城山城とも呼ばれます。
多気城の現在の状況はどうなっていますか?
現在は山林となっており、採石の影響などで地形が往時とは大きく変化しています。
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参考文献
- 阿久津久ほか編『日本城郭大系』第4巻(新人物往来社、1979年)
- 石橋充・関口友紀『つくば市内重要遺跡 ―平成13年度試掘・確認調査報告―』(つくば市教育委員会、2002年)
- 石橋充・広瀬季一郎『つくば市内重要遺跡 ―平成14年度試掘・確認調査報告―』(つくば市教育委員会、2003年)
- 茨城城郭研究会『図説 茨城の城郭』(国書刊行会、2006年)