日本の元号
貞治 (元号)
貞治(ていじ)は、日本の南北朝時代、北朝で使用された元号。1362年から1368年までの期間を指し、後光厳天皇の治世下で用いられました。
📌 主なポイント
- ✓貞治は日本の南北朝時代、北朝で使用された元号である。
- ✓期間は1362年から1368年までである。
- ✓出典は『周易』の一節「利武人之貞、志治也」に基づいている。
- ✓貞治6年に室町幕府2代将軍・足利義詮が死去し、足利義満が将軍職を継承した。
貞治(ていじ)は、日本の南北朝時代における元号の一つ。北朝方で使用された。康安の後、応安の前にあたり、1362年から1368年までの期間を指す。この時代の北朝天皇は後光厳天皇であり、室町幕府の将軍は足利義詮、および足利義満が務めた。
改元
康安2年9月23日(ユリウス暦1362年10月11日)、天変および兵革を理由として改元が行われた。その後、貞治7年2月18日(ユリウス暦1368年3月7日)に応安へと改元された。
出典
元号の由来は『周易』の一節「利武人之貞、志治也」から採られたとされる。
貞治期におきた主な出来事
貞治年間には、室町幕府の体制固めや権力闘争に関連する出来事が多く見られた。
- 貞治の変:執事であった斯波義将とその父・斯波高経が失脚する政変が発生した。
- 幕府の動向:足利義詮が三条坊門殿へ移転し、渋川義行が九州探題に就任するなど、統治機構の整備が進められた。
- 将軍職の継承:貞治6年、足利義詮が将軍職を子の足利義満に譲り、細川頼之が管領として後見体制を敷いた。
- 地方情勢:鎌倉公方・足利基氏による宇都宮氏綱の討伐や、大内弘世、山名時氏らの幕府への帰服が見られた。
主な死去
貞治年間には以下の人物が没した。
- 貞治3年:諏訪円忠
- 貞治6年:足利基氏(鎌倉公方)、足利義詮(室町幕府2代将軍)、斯波高経
よくある質問
貞治はいつからいつまでの元号ですか?
1362年から1368年までの期間です。
貞治の元号は誰の治世下で使用されましたか?
北朝の後光厳天皇の治世下で使用されました。
貞治の変とは何ですか?
貞治年間に発生した政変で、幕府執事の斯波高経・義将父子が失脚した事件を指します。
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参考文献
- 『日本年号一覧』
- 『周易』