旧制日本の高等教育を規定した勅令:帝国大学令の歴史と変遷

📌 主なポイント
- ✓帝国大学令は1886年(明治19年)に初めて制定された勅令である。
- ✓1919年(大正8年)に全部改正が行われ、分科大学制から学部制へと移行した。
- ✓戦後レジーム下での学制改革に伴い、1947年に国立総合大学令へ改題された後、1949年の国立学校設置法公布により廃止された。
帝国大学令(ていこくだいがくれい)は、かつて大日本帝国において設置されていた高等教育機関である帝国大学の基本的事項を規定していた勅令である。歴史上、1886年(明治19年)に制定された第一次帝国大学令と、1918年(大正8年)に全部改正された第二次帝国大学令の2つが存在する。

第一次帝国大学令の制定背景
第1次伊藤内閣の時期に教育関連の法制化が進められ、文部大臣であった森有礼の在任中に学校令が制定された。1886年(明治19年)3月に公布された一連の学校令の一つとして、同年3月1日に勅令第3号をもって帝国大学令が制定され、同年4月1日に施行された。
工部省の廃止に伴い工部大学校が文部省へ移管された後、本令の制定によって同校は東京大学へ吸収され、当時における全国唯一の帝国大学が成立した。当初は大学院と、法科・医科・工科・文科・理科の5つの分科大学から構成されていた。
法改正と組織の展開
1890年(明治23年)の改正により農科大学が加えられ、分科大学は6科となった。さらに1893年(明治26年)の大規模な改正では、評議会や分科大学の教授会、ならびに講座制が明文化された。1897年(明治30年)に京都帝国大学が設置されて以降は、個別の勅令を通じて東京以外の帝国大学にも適用範囲が拡大された。
第二次帝国大学令への移行と戦後の廃止
大学令の公布に伴う全面改正の必要性から、1919年(大正8年)2月7日に第二次帝国大学令(大正8年勅令第12号)が公布され、同年4月1日に施行された。この改正により「分科大学」の名称が「学部」へと改められ、複数の学部からなる総合大学としての性格が明確化された。
第二次世界大戦後の学制改革のなかで、1947年(昭和22年)9月に「国立総合大学令」へと改題された。その後、1949年(昭和24年)5月31日に施行された国立学校設置法により廃止され、旧制の帝国大学はそれぞれの所在地における他の高等教育機関と統合されて新制の国立大学へと移行した。
よくある質問
帝国大学令とは何ですか?
第一次と第二次の違いは何ですか?
帝国大学令はどのようにして廃止されましたか?
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参考文献
- 帝国大学令(明治19年勅令第3号) - 中野文庫
- 帝国大学令(大正8年勅令第12号) - 中野文庫
- 国立総合大学令 - 中野文庫