日本の元号

天福 (日本)

日本の元号の一つである天福(1233年〜1234年)の歴史的背景、改元の経緯、当時の政治体制、および関連する文献の記録について解説します。

📌 主なポイント

  • 天福は日本の元号の一つで、1233年から1234年までの期間に用いられた。
  • 当時の天皇は四条天皇、鎌倉幕府の執権は北条泰時であった。
  • 元号の出典は『書経』(湯誥)の伝によるもので、撰進者は菅原為長である。

天福(てんぷく、旧字体: 天福󠄁)は、日本の元号の一つ。貞永の後、文暦の前で、1233年から1234年までの期間を指す。この時代の天皇は四条天皇であり、鎌倉幕府では藤原頼経が将軍を務め、執権は北条泰時が担っていた。

改元の経緯と出典

改元は貞永2年4月15日(ユリウス暦1233年5月25日)に行われ、天福2年11月5日(ユリウス暦1234年11月27日)に文暦へと改元された。新元号の出典は、『書経』(湯誥)の「天道福レ善禍レ淫」に対する伝の「政善、天福レ之」に基づくものであり、撰進者は菅原為長であった。

当時の評価と記録

『明月記』の天福元年4月16日条によれば、藤原定家は「福」という漢字が初めて用いられた唐の「景福」以来、大乱に縁があるとして、この「福」の一字を用いた元号選定を非難している。また、『頼資卿改元定記』『民経記』『五代帝王物語』などの記録によると、改元の是非を巡って土御門定通や二条定高が推進する一方で、広橋頼資が反対して仗座で激論を交わし、最終的には九条道家の裁定によって「天福」に決定されたと伝えられている。『五代帝王物語』では、その後藻璧門院の諒闇中に後堀河院が崩御したことなども踏まえ、天福という年号を批判的に回顧している。

天福期の主な出来事

天福期には、朝廷における重要な皇族の薨去が相次いだ。天福元年5月20日に仲恭天皇が崩御し、同年8月6日には後堀河上皇が崩御した。

よくある質問

天福は何年から何年までの元号ですか?
1233年から1234年までの期間を指します。
天福の元号の出典は何ですか?
『書経』(湯誥)の「天道福レ善禍レ淫」に対する伝の「政善、天福レ之」に基づいています。
天福に改元された当時の鎌倉幕府の執権は誰ですか?
北条泰時です。

関連記事

貞永文暦四条天皇北条泰時藤原定家

参考文献

藤本孝一「暦年数換算法と藤原定家」『日本歴史』第633号、吉川弘文館、2001年。 / 弓削繁『六代勝事記・五代帝王物語』三弥井書店、2000年。 / 北爪真佐夫「元号と武家」『札幌学院大学人文学会紀要』第68巻、2000年。