日本の元号
天暦:日本の平安時代に制定された村上天皇の治世の元号
日本の平安時代、村上天皇の治世に用いられた元号「天暦」の歴史的背景、改元の由来、主要な出来事について解説する百科事典記事です。
📌 主なポイント
- ✓天暦は日本の平安時代の元号であり、期間は947年から957年までである。
- ✓当時の天皇は村上天皇であり、元号は『論語』の一節に由来する。
- ✓藤原忠平の薨去や、憲平親王の立太子など、朝廷の重要イベントが多数発生した。
天暦(てんりゃく / てんれき、旧字体: 天曆)は、日本の元号の一つ。天慶の後、天徳の前であり、947年から957年までの期間を指す。この時代の天皇は村上天皇である。
改元と由来
天慶10年4月22日(ユリウス暦947年5月15日)に改元が行われ、天暦11年10月27日(ユリウス暦957年11月21日)に天徳へ改元された。元号の出典は中国の古典である『論語』の一節「天之暦数在爾躬」に基づく。
天暦期に起きた主な出来事
天暦年間には、朝廷の中枢において有力公卿の昇進や薨去が相次ぎ、政治体制の移行期となった。
- 947年(天暦元年)4月26日:藤原実頼・藤原師輔兄弟が揃って左大臣・右大臣に昇進し、父の関白太政大臣・藤原忠平とともに太政官の要職を占めた。
- 947年(天暦元年)6月26日:藤原純友の討伐などに功績のあった参議民部卿正四位下・藤原忠文が75歳で死没した。
- 947年(天暦元年)8月14日:延喜14年(914年)以来、長く太政官を率いてきた藤原忠平が薨去し、貞信公の諡号が贈られた。
- 949年(天暦3年)9月29日:陽成上皇が崩御。上皇としての在位期間(上皇歴)は65年に及び、歴代でも異例の長さであった。
- 950年(天暦4年)7月23日:村上天皇と藤原師輔の娘・藤原安子との間に生まれた憲平親王(後の冷泉天皇)が生後間もなく立太子した。
- 951年(天暦5年)8月15日:朱雀上皇が崩御した。
- 957年(天暦11年)2月7日:藤原師輔が極位である正二位に昇進した。
よくある質問
天暦の読み方となんこう期間は何年間ですか?
「てんりゃく(または てんれき)」と読みます。期間は947年から957年までの約11年間です。
天暦の元号の由来は何ですか?
中国の古典である『論語』の一節「天之暦数在爾躬」を典拠としています。
天暦の時代に在位していた天皇は誰ですか?
村上天皇が在位していました。
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参考文献
日本歴史学会編『日本古代史事典』、各種古文書・公卿補任等の史料に基づく。