天正:日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての元号
📌 主なポイント
- ✓天正は1573年から1592年までの期間を指す日本の元号である。
- ✓元号の典拠は『文選』および『老子』である。
- ✓織田信長による改元の奏請や、豊臣秀吉による天下統一事業が展開された時代である。
天正(てんしょう)は、日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前であり、1573年から1592年までの期間を指します。この時代の天皇は正親町天皇および後陽成天皇であり、征夷大将軍には足利義昭が在職していました。室町幕府の終焉から織田政権、そして豊臣政権による天下統一へと至る、日本史上の重大な転換期にあたります。
改元の経緯と背景
元亀4年7月28日(ユリウス暦1573年8月25日)、戦乱などの災異を理由として改元が行われました。足利義昭を京都から追放した織田信長が、公卿や朝廷を通じて改元を主導したとされています。『お湯殿上日記』によれば、義昭追放の3日後である元亀4年7月21日条に、信長からの改元奏請の記録が残されています。
ただし、朝廷内では改元に向けた議論がその1年以上前から進められており、元亀3年3月29日には発議を伝える使者が信長と義昭のもとに派遣されていました。当時、改元を奏請したとされる足利義昭はこれに反発して経費の拠出を拒絶し、信長が義昭を非難するために作成した『異見十七ヶ条』でも批判の対象とされています。最終的に、朝廷は信長に勘文を示し、その意向も踏まえて「天正」の元号を定めました。これは武家政権の長としての信長の政治的影響力を示すものであった一方、手続き上はあくまで朝廷の意向を尊重した形式をとっていました。
由来
新元号の典拠となったのは、『文選』の「君以下為基、民以食為天、正其末者端其本、善其後者慎其先」および『老子』の「清静者為天下正」です。勧申者は元亀に引き続き高辻長雅が務め、当時の候補の中にすでに「天正」が含まれていました。
天正年間の主な出来事
天正年間は、織田信長による勢力拡大と「本能寺の変」による横死、そして豊臣秀吉による全国統一事業の進展など、数多くの歴史的事件が集中した期間です。
- 天正元年(1573年): 朝倉義景や浅井長政が織田信長との戦いに敗れて自害し、足利義昭が京都を追放されます。
- 天正3年(1575年): 長篠の戦いにおいて、織田信長・徳川家康連合軍が武田勝頼軍を破ります。
- 天正10年(1582年): 甲州征伐による武田家の滅亡を経て、本能寺の変により織田信長が横死。その後、山崎の戦いや清洲会議を経て豊臣政権への道が開かれます。
- 天正15年(1587年): 豊臣秀吉による九州征伐が完了し、バテレン追放令が発布されます。
- 天正18年(1590年): 小田原征伐を経て豊臣秀吉が全国統一を達成します。
西暦との換算における留意点
天正10年(1582年)、ヨーロッパではカトリック教会が主導してユリウス暦からグレゴリオ暦への改暦が実施されました。近代以前の日本の和暦と西暦を正確に対比させる際には、この暦法の違いや移行時期の国による差異を考慮する必要があります。