映画監督
テレンス・ヤング:映画監督の生涯と業績
映画『007』シリーズの初期3作品を監督し、ジェームズ・ボンドのスタイルを確立したイギリスの映画監督テレンス・ヤングの生涯と主な作品を紹介します。
📌 主なポイント
- ✓1915年に上海で生まれ、ケンブリッジ大学を卒業した。
- ✓第二次世界大戦中、イギリス軍の戦車部隊長としてマーケット・ガーデン作戦に従軍した。
- ✓『007』シリーズの初期3作品を監督し、ジェームズ・ボンドのキャラクター像とスタイルを確立した。
テレンス・ヤング(Shaun Terence Young、1915年6月20日 - 1994年9月7日)は、イギリス出身の映画監督です。特に映画『007』シリーズの初期作品を監督し、ジェームズ・ボンドというキャラクターの映画的スタイルを確立した人物として知られています。
経歴
1915年、中華民国の上海共同租界で生まれました。英国で教育を受け、ケンブリッジ大学を卒業しています。大学時代はスポーツに親しむ一方で、大学新聞で批評を執筆するなど、早くから映画やメディアへの関心を示していました。卒業後は脚本家としてキャリアをスタートさせ、1941年のメロドラマ『デンジャー・イン・ムーンライト』の脚本で注目を集めました。
第二次世界大戦中にはイギリス軍の戦車部隊長として従軍し、マーケット・ガーデン作戦に参加しました。激戦地として知られるアルンヘムでの砲撃指揮を経験しています。
映画監督としての活動
戦後、脚本家や助監督を経て監督に転身しました。1953年の『赤いベレー』でハリウッドデビューを果たした後、着実にキャリアを積み重ねました。
ヤングの映画史における最大の功績は、1962年の『007 ドクター・ノオ』から始まる『007』シリーズの初期3作品(『ドクター・ノオ』、『ロシアより愛をこめて』、『サンダーボール作戦』)を監督したことです。当時無名だったショーン・コネリーを主演に起用し、彼を高級テーラーへ連れて行ってスーツの着こなしを指導するなど、ジェームズ・ボンドの洗練されたファッションや立ち居振る舞いの基礎を築きました。この演出方針は、後のシリーズ作品にも大きな影響を与えています。
主な監督作品
- 『赤いベレー』(1953年)
- 『007 ドクター・ノオ』(1962年)
- 『007 ロシアより愛をこめて』(1963年)
- 『007 サンダーボール作戦』(1965年)
- 『暗くなるまで待って』(1967年)
- 『レッド・サン』(1971年)
- 『バラキ』(1972年)
1994年9月7日、フランスのカンヌにて心不全のため79歳で死去しました。
よくある質問
テレンス・ヤングはどの007作品を監督しましたか?
『007 ドクター・ノオ』(1962年)、『007 ロシアより愛をこめて』(1963年)、『007 サンダーボール作戦』(1965年)の3作品を監督しました。
ジェームズ・ボンドのスタイルにどのように関与しましたか?
主演のショーン・コネリーに高級スーツの着こなしを日常的に指導するなど、ボンドの洗練されたファッションや立ち居振る舞いの基礎を築きました。
テレンス・ヤングの没年はいつですか?
1994年9月7日にフランスのカンヌで死去しました。
関連記事
ショーン・コネリー007シリーズジェームズ・ボンドイギリス映画
参考文献
- Terence Young, 79; In 1960's, Directed 3 James Bond Films, ニューヨーク・タイムズ, 1994年9月9日.
- ショーン・ヘプバーン・フェラー『母、オードリーのこと』竹書房, 2004年.
- エレン・アーウィン&ジェシカ・Z・ダイヤモンド『audrey hepburn treasures』講談社, 2006年.
- Sheil, Robert. “Young, Terence (1915-1994)”, screenonline.
- 「男が憧れる」007 歴代ボンド、一流の装いの秘密, 日本経済新聞, 2020年6月2日.