日本の歴史
第3次桂内閣の成立と大正政変

1912年から1913年にかけて短期間続いた第3次桂内閣の歴史的背景、成立の経緯、および大正政変による崩壊までを解説します。
📌 主なポイント
- ✓第3次桂内閣は1912年12月21日に成立し、1913年2月20日に総辞職した。
- ✓在職日数は62日間で、日本の憲政史上でも指折りの短命内閣である。
- ✓この内閣の崩壊は、第一次護憲運動を伴う「大正政変」として知られる。
第3次桂内閣は、1912年(大正元年)12月21日から1913年(大正2年)2月20日まで続いた日本の内閣である。公爵・陸軍大将の桂太郎が第15代内閣総理大臣を務めた。在職日数は62日間であり、日本の憲政史上でも極めて短命な内閣の一つとして知られている。
成立の背景
1900年代の日本政治は、桂太郎と立憲政友会の西園寺公望が交互に首相を務める「桂園時代」と呼ばれる体制下にあった。しかし、藩閥勢力の実力者である山縣有朋と、政友会を率いる原敬との間の権力闘争が激化する中、桂は政界の第一線から退いていた。1912年11月、陸軍による二個師団増設問題を契機に、陸軍大臣が辞任し後任を出さないことで西園寺内閣が総辞職に追い込まれた。この事態を受け、元老会議の推薦により桂太郎が首相に再登板した。
大正政変と内閣の崩壊
桂の再登板は、山縣と桂による陰謀であるとみなされ、民衆や政党から「憲政擁護・門閥打破」を掲げる第一次護憲運動が巻き起こった。桂は政友会に対抗する新党結成を試みたが、世論の激しい反発と議事堂を取り囲む群衆の圧力により、政権運営は困難を極めた。1913年2月、桂は内閣総辞職を決意し、わずか62日で政権の座を降りた。この一連の出来事は「大正政変」と呼ばれ、日本の政党政治の発展において重要な転換点となった。













よくある質問
第3次桂内閣はなぜ短命だったのですか?
第一次護憲運動による民衆の激しい反発と、政党勢力からの強い圧力を受け、政権運営が困難になったためです。
大正政変とは何ですか?
桂太郎の再登板に反対する護憲運動が全国的に広がり、最終的に内閣が総辞職に追い込まれた一連の政治的出来事です。
第3次桂内閣の後に成立した内閣は?
第1次山本権兵衛内閣が成立しました。
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参考文献
- 『官報』号外「叙任及辞令」、大正元年12月21日
- 『官報』号外「叙任及辞令」、大正元年12月29日
- 『官報』第120号「叙任及辞令」、大正元年12月23日