藤堂明保:日本の漢学者・中国語学者
📌 主なポイント
- ✓藤堂明保は1915年に三重県で生まれ、1985年に死去した日本の漢学者である。
- ✓東京大学文学部を卒業後、同大教授や早稲田大学客員教授、日中学院長を務めた。
- ✓字音の共通性から意味の繋がりを探る「単語家族説」を提唱し、音韻学や漢字研究に大きな足跡を残した。
- ✓『学研漢和大字典』の編纂や、NHKの『中国語講座』講師、テレビ番組出演など多方面で活躍した。
藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年1月2日)は、日本の漢学者、中国語学者。東京大学名誉教授、早稲田大学客員教授、日中学院長を歴任し、音韻学や漢字の語源研究において独自の「単語家族説」を提唱したことで知られる。
生涯と経歴
1915年、三重県阿山郡(のちの上野市、現伊賀市域)に生まれる。家系は津藩伊賀上野城代の藤堂家であり、父親の赴任に伴い大連で育った。旧制第一高等学校を経て、1938年に東京帝国大学文学部支那哲学科を卒業した。
大学卒業後は外務省研修員として北京へ留学し、その後応召を経て現地で除隊後、通訳として軍務に従事した。終戦を南京で迎え、軍命によりハノイへ移動した後、1947年に中国経由で復員した。帰国後は第一高等学校教授を務め、1950年に東京大学文学部専任講師、1954年に同助教授、1963年に同教授に就任した。
東大紛争においては全共闘支持を表明し、1970年の強行排除に抗議して大学を辞職した。退職後はメディアにも活動の場を広げ、テレビ番組『11PM』への出演や、1971年からNHKテレビ『中国語講座』の講師を務めるなど、一般向けにも中国語や漢字の解説を行った。1972年より早稲田大学政治経済学部客員教授、1976年から日中学院長を務めた。1985年1月に死去し、墓所は伊賀市の大超寺にある。
学問と研究
専門は中国語の音韻学であり、1962年に「上古漢語の単語家族の研究」により東京大学から文学博士号を授与された。西洋の言語学の手法を援用して上古音の復元を行ったベルンハルド・カールグレンの研究を基礎としている。
漢字の語源を遡る際、伝統的な文字学の手法である字形の分析ではなく、字音の異同を重視する「単語家族説」を提唱した。これは、字形が異なっていても字音が同じであれば何らかの意味の共通性を見出すというアプローチである。この研究姿勢や漢字観をめぐっては、同時代に漢字研究を進めていた白川静との論争でも知られている。
また、こうした独自の言語観に基づき、『学研漢和大字典』の編纂を手がけ、漢文学の知識をわかりやすく伝える新しい形式の漢和字典の先駆けとなった。
主な著作
藤堂は専門的な学術書のほか、一般向けの解説書も数多く執筆した。
- 『中国語語源漫筆』(大学書林、1955年)
- 『中国語音韻論』(江南書院、1957年)
- 『漢字の語源研究 上古漢語の単語家族の研究』(学燈社、1963年)
- 『漢字の起源』(徳間書店、1966年、のち講談社学術文庫ほか)
- 『学研漢和大字典』(学習研究社、1978年・共編著)
よくある質問
藤堂明保の専門分野は何ですか?
「単語家族説」とはどのような説ですか?
どのような代表作がありますか?
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参考文献
- 仏生山大超寺 「大超寺」 2026年3月22日閲覧。
- 藤堂明保の単語家族論 http://www.koto8.net/toudou/toudou_2.shtml