東京高等師範学校の歴史と教育的役割

📌 主なポイント
- ✓1886年に設立された日本の中等教員養成の最高機関である。
- ✓嘉納治五郎が校長を務め、日本の学生スポーツの発展に大きく貢献した。
- ✓1952年に廃止され、その機能は新制東京教育大学(後の筑波大学)に引き継がれた。
東京高等師範学校は、明治時代から昭和中期にかけて、日本の中等教育を担う教員を養成した官立の教育機関です。1886年(明治19年)に設立され、長らく日本の教員養成における中心的な役割を果たしました。
設立の背景と師範学校時代
その起源は、1872年(明治5年)に設立された「師範学校」に遡ります。文部省は近代的な小学校教育を普及させるため、アメリカ人教育者M・M・スコットを招聘し、アメリカ式の教授法を導入しました。この師範学校は、全国の教員養成機関のモデルとして機能し、附属の練習小学校(現在の筑波大学附属小学校の前身)を併設して実践的な教育研究を行いました。
高等師範学校への改組
1886年の師範学校令により、尋常師範学校と区別される「高等師範学校」が制度化され、東京師範学校はこれに改組されました。初代校長には山川浩が就任し、国費によって運営される中等学校教員養成の最高機関として位置づけられました。森有礼文部大臣の下では、兵式体操の導入など、国家的な忠君愛国教育の拠点としての側面も強まりました。
嘉納治五郎とスポーツの振興
1890年から1920年にかけて、3度にわたり校長を務めた嘉納治五郎の時代は、同校の歴史において特筆すべき時期です。嘉納は軍隊的な教育方針を一部緩和し、スポーツを通じた人間形成を重視しました。これにより、東京高等師範学校は日本の学生スポーツの発展において先駆的な役割を果たすこととなりました。
大学昇格と戦後の変遷
1929年(昭和4年)、東京文理科大学が設立されると、東京高等師範学校はその附置機関となりました。戦後の学制改革に伴い、1949年(昭和24年)に新制東京教育大学が発足すると、東京高等師範学校は同大学の構成母体となり、1952年(昭和27年)にその歴史的役割を終えて廃止されました。なお、東京教育大学は後の筑波大学へと改組されています。
教育的影響
東京高等師範学校は、卒業生を全国の中等学校へ供給し、戦前期の教育界において極めて大きな影響力を持ちました。1937年時点で、中等教育機関の校長の約7割が高等師範学校の出身者であったという統計も残されており、当時の日本の教育現場を支える中核的な存在であったことがわかります。
よくある質問
東京高等師範学校の略称は何ですか?
東京高等師範学校は現在のどの大学につながっていますか?
卒業後の進路はどうなっていましたか?
関連記事
参考文献
- 文部省『文部省第十三年報』1885年。
- 乙竹岩造『日本教育史の研究 第2輯』目黒書店、1939年。
- 東京教育大学庶務課編『東京教育大学概要 閉学記念特集』1978年。